モンゴル(民族)(読み)もんごる(英語表記)Mongolians

日本大百科全書(ニッポニカ) 「モンゴル(民族)」の意味・わかりやすい解説

モンゴル(民族)
もんごる
Mongolians

12~13世紀にチンギス・ハンに率いられてアジアからヨーロッパにまたがる一大帝国を築いた遊牧民族。中国での漢字表記では蒙古族(もうこぞく)。狭義にはモンゴル国(外モンゴル)の人口の大多数を占めるハルハと中国、内モンゴル自治区に居住するチャハルをさすが、広義にはロシア領バイカル湖周辺のブリヤート、ボルガ川下流域のカルムイク、モンゴル国内に居住する若干の少数民族(デルベト、バイト、ザフチン、オリョト、トルグートなど)、さらに中国のトンシャン(東郷族)、ダフール(達斡爾族)、トゥ(土族)、ボウナン(保安族)なども含まれる。人口はモンゴル国に約182万(1996)、中国内モンゴル自治区に約480万(1990)である。体型的には典型的なモンゴロイドで、平坦(へいたん)な顔つき、目に厚い蒙古ひだがあるのが特徴的で、四肢は短いが、体つきは全体的に頑健である。

 彼らの居住地であるモンゴル高原からゴビ砂漠にかけての地域には、かつて匈奴(きょうど)、鮮卑(せんぴ)、柔然、ウイグルなどの遊牧騎馬民族が活躍し、モンゴルの祖先とおぼしき人々は唐代に「蒙兀(もうこつ)」などの名で初めて登場する。彼らの民族としての基盤が確立されるのは、チンギス・ハンによってタイチウトナイマンケレイト、メルキットなどの諸部族が統合されてからである。大帝国の成立によって、モンゴルは中央アジア、西アジア、ヨーロッパ各地に広がったが、その多くは地元の諸民族に同化、吸収されてしまった。帝国の崩壊後もモンゴルは現在の内・外モンゴルから新疆(しんきょう/シンチヤン)にかけての地域で勢力を保ったが、東西に分裂し、最後は満洲族の清(しん)朝に併合された。1921年にソ連の援助で外モンゴルは独立を達成したが、内モンゴルは中国領にとどまり、また、ブリヤートが近接しながらもロシア領内にいるなど、現在モンゴル諸民族は三つの国家に分かれ住んでいる。

 モンゴルの文化は典型的な遊牧文化で、その主生業はいわゆる五畜の飼育である。家畜群の主体はヒツジ、ウマ、ヤギウシであるが、ゴビなどの乾燥地帯ではラクダが多く、山岳地帯ではヤクも飼われる。彼らの生活はこれらの家畜に全面的に依存しているが、殺して肉にすることはまれで、食糧としては乳を搾り、乳製品を主食とする。その技術はよく発達し、種類も多い。衣類もヒツジやラクダの毛で毛織物をつくる。また、それらの毛を圧縮してフェルトをつくり、独特の天幕であるゲル(パオ)の覆いとする。遊牧する際の単位は父系の大家族であるが、かつてはそれが地域的、血縁的に統合されて、貴族や寺院の支配を受けていた。

 モンゴルは従来シャマニズム(シャーマニズム)的な信仰をもっていたが、16~17世紀にチベット仏教が導入されて以来、清朝の奨励策も重なって、チベット仏教が非常によく普及した。寺院では仏典の翻訳や年代記の編纂(へんさん)などが盛んに行われたが、政治勢力と密着したため、清朝末期にはその腐敗堕落が頂点に達していた。内・外モンゴルとも革命後寺院に対して抑圧政策をとったため、いまは昔日のおもかげはまったくないが、チャム(跳舞)など伝統芸能や行事にはよく残されているものもある。

 現在はスポーツ化しているが、相撲(すもう)、馬術、弓術などはなお盛んで、かつての騎馬戦士を彷彿(ほうふつ)とさせる。

[佐々木史郎]

『吉田実著『モンゴル』(1980・古今書院)』『都竹武年雄著『蒙古高原の遊牧』(1981・古今書院)』『小長谷有紀著『モンゴルの春』(1991・河出書房新社)』『小長谷有紀著『モンゴル草原の生活世界』(1996・朝日新聞社)』

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