モンブラン(読み)もんぶらん(英語表記)Mont Blanc

翻訳|Mont Blanc

精選版 日本国語大辞典 「モンブラン」の意味・読み・例文・類語

モンブラン

(Mont Blanc)
[1] フランス、イタリア国境にある、アルプス最高峰。頂上は万年雪におおわれる。氷河が発達している。一七八六年ジャコモ=バルマ、ミシェル=パッカールが初登頂。標高四八〇七メートル。イタリア語名モンテビアンコ。
[2] 洋菓子の一つ。円形のスポンジケーキなどの上に甘く煮た栗の裏ごしを山形に絞り出して盛り、泡立てた生クリームや栗などで飾ったケーキ。
※虫たちの棲家(1973)〈高井有一〉生れなかった子供「エクレアに、モンブラン、バヴァロア」

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デジタル大辞泉 「モンブラン」の意味・読み・例文・類語

モン‐ブラン(Mont Blanc)

白い山の意》フランス・イタリア国境にある、アルプス山脈の最高峰。標高4810メートル。1786年にパッカールとバルマが初登頂。北麓のシャモニーが登山基地。イタリア語名モンテビアンコ。
ゆでたくりの裏ごしを山形に絞り出し、上を泡立てた生クリームで飾ったケーキ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「モンブラン」の意味・わかりやすい解説

モンブラン
もんぶらん
Mont Blanc

ヨーロッパ・アルプス西部、フランス・イタリア国境にあるヨーロッパの最高峰。イタリア語名モンテ・ビアンコMonte Bianco。標高4808メートル。山頂はフランス側にある。ボス、モン・モディ、プトレイ、イノミナータ、ブルイヤール、ビオナセイの六大山稜(さんりょう)がある。山名は「白い山」の意で、フランス側の登山基地シャモニー・モンブランからは白雪の美しい山容をみせ、メール・ド・グラス氷河が発達する。シャモニー・モンブランはアルプスでもっともにぎやかな登山・スキーの根拠地で、エギュイーユ・デュ・ミディ山に通じるロープウェーやメール・ド・グラスへの登山電車などによる観光・登山客が多い。イタリア側はブレンバとよばれる高度差1400メートルの氷壁をつくっている。

 アルプスの象徴として早くから登山の対象となり、18世紀後半スイスの科学者ド・ソシュールによって登山が提唱され、その後援によって1786年8月8日シャモニーの医師M・G・パッカールと水晶採りを業とするJ・パルマーの二人がフランス側から初登頂した。後援者のソシュールも翌年登頂している。これがヨーロッパにおける近代スポーツ登山の先駆けとなり、イギリスをはじめとする多くの登山者がアルプスの高峰へ挑み、アルプス登山の黄金時代へと発展した。日本人も1921年(大正10)、外交官で登山家の日高信六郎(ひだかしんろくろう)(1893―1976)の初登頂に始まり、現在では毎年数百人の登山者がある。多くのルートがあり、グラン・ミュレ小屋などの山小屋も多い。

[徳久球雄]

『ガストン・レビュファ著、近藤等訳『美しきモン・ブラン山群――その雪と岩に刻まれた歴史』(1969・新潮社)』『ガストン・レビュファ著、近藤等訳『モン・ブラン山群――特選100コース』(1974・山と渓谷社)』『小川清美写真・文『シャモニ周辺を歩く――モン・ブラン山群の特選コース23』(2000・山と渓谷社)』『三浦敬三著『99歳、モンブラン大滑降に挑む』(2002・草思社)』『清水竜基著『はじめてのモンブラン――漫画で描く、海外登山ツアーの手記』(2004・夢工房)』

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改訂新版 世界大百科事典 「モンブラン」の意味・わかりやすい解説

モンブラン
Comte Charles de Montblanc, Baron d'Ingelmunster
生没年:1833-94

フランスの貴族。日本では白山伯の名で知られた。パリに生まれ,21歳でフィリピンにフランスの代表として派遣されたが,日本に興味をもち,1858年8月フランス外務省の学術調査員として長崎に上陸した。日本語を覚え鹿児島で島津公に近づいた。61年帰国,渡仏中の薩摩藩の新納中三(にいろなかぞう),五代友厚らと知り合い,65年にブリュッセルで五代と商社をつくり,66年には翌年のパリ万国博覧会に薩摩藩から事務総長commissaire généralに任命され,幕府とは別に琉球国の名で薩摩藩に出品させた。博覧会後67年10月に長崎に薩摩藩軍事顧問として来朝,69年12月横浜より帰国の途についた。明治政府はモンブランをフルーリー・エラール(フロリヘラルド)Fleury-Hérardの後任としてパリ駐在の日本政府代表(公務辦理職)に任じたが,翌年11月鮫島尚信公使を後任として送りモンブランと交代させた。モンブランは領地のアンゲルミュンステルに戻り,94年パリで没した。長く日本研究協会の会長も務め,日本に関する多くの論文を協会の雑誌に書き,《日本事情1865-67》の著書のほか,《鳩翁道話》のフランス語訳がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モンブラン」の意味・わかりやすい解説

モンブラン
Mont Blanc

イタリア語ではモンテビアンコ Monte Bianco。ヨーロッパ,アルプス山脈中の最高峰。標高 4807m。フランスとイタリアの国境にある同名の山塊の主峰で,国境のフランス側にある。山体は結晶片岩から成り,多くのけわしい峰をめぐらし,頂上から山腹にかけてメールドグラス,ボソン,アルジャンティエールなどの山岳氷河が分布。おもにフランス側に氷河地形が著しい。シャモニーの谷やクルマユールの谷などは典型的なU字谷。登山の歴史は 1741年イギリス人学生2人の探査に始り,86年シャモニー出身の M.パッカールとガイドの J.バルマによって初登頂がなされた。 1965年,シャモニーとイタリアのクルマユールを結び山塊を横断する自動車専用のモンブラン・トンネルが完成,フランス,イタリア両国間の重要な産業,観光道路を開いた。モンブラン周辺はシャモニーを中心に空中ケーブルなどを含む諸施設が完備し,スキーも盛んで,アルプス観光の中心となっている。山名は白い山の意。

モンブラン
Montblanc, Comte des Cantons de

[生]1832
[没]1893
フランス,ベルギー両国籍をもつ貴族。漢名,白山伯。江戸時代後期の文久1 (1861) 年来日し,慶応1 (65) 年薩摩藩密航留学生の一行とブリュッセルで会見,五代友厚らと交遊関係を結び,パリで薩摩藩とベルギーとの間に,薩摩領内の資源相互開発協定を結んで商社を設立し,同3年パリ万国博では幕府に対抗する薩摩藩代表岩下方平らの顧問となって活躍した。同年来薩したが,渡英中の薩摩藩留学生らの意見で共同開発事業は進捗しなかった。明治新政府成立後,備前藩兵発砲事件の処理に関与,のち帰国して日本外交団の世話役をつとめた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「モンブラン」の解説

モンブラン Montblanc, Comte Charles des Cantons de

1832-1893 フランスの外交家。
伯爵。文久2年(1862)旅行者として来日し,数ヵ月で帰国。滞仏中の鹿児島藩士新納中三(にいろ-なかぞう),五代友厚らと知りあい,兵器輸入の商社設立を契約,慶応3年(1867)パリ万国博で鹿児島藩の代理人となった。明治2年パリ駐在日本弁務使となる。享年61歳。号は白山伯。著作に「日本事情」。

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和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典 「モンブラン」の解説

モンブラン【mont-blanc(フランス)】

洋菓子の一種。スポンジ生地やパイ生地などの土台の上に、裏ごしした栗を用いたクリームをあしらったもの。代表的なものは、一人分の小さな土台の上に、クリームを山のような形に盛り上げてしぼり出したもの。頂点に栗の甘露煮をのせたものも多い。これをアルプスの最高峰モンブランに見立ててこの名がある。

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デジタル大辞泉プラス 「モンブラン」の解説

モンブラン

ロボットアニメ「機動戦士ガンダム」のテレビシリーズ第2作「機動戦士Zガンダム」に登場する宇宙戦艦。地球連邦軍とその特殊部隊であるティターンズに所属するサラミス改級宇宙巡洋艦。地球連邦軍の建造したサラミス級宇宙巡洋艦の改修型戦艦のひとつ。全長198メートル。

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世界大百科事典(旧版)内のモンブランの言及

【領事館】より

…日本に置かれた最初は下田にアメリカ領事ハリスが開いたものであるが,日本が外国に領事館を設置したのは,幕府が1867年(慶応3)9月サンフランシスコにおいてアメリカ人チャールズ・ウォルコット・ブルークスを雇い入れて領事事務を委任したのと,それと前後してパリでフランス人フルーリー・エラールに総領事の事務を委任したのがはじめであるという。69年(明治2)に政府はエラールに代わりフランス人モンブランを雇い入れ総領事とし,70年10月には清国の上海に仮領事館を置き品川忠道を勤務させた。翌71年11月正院は総領事以下の官を置くことを布告し,サンフランシスコ,上海に続き,ニューヨーク(1872年3月),福州(1872年9月),香港(1873年4月),ベネチア(1873年3月),マルセイユ(1874年3月),ローマ(1874年7月),厦門(アモイ)(1875年4月),天津(1875年9月),ホノルル(1875年11月),牛荘(1876年3月),ロンドン(1876年4月),芝罘(チーフー)(1876年5月),ウラジオストク(1876年12月),ミラノ(1878年5月),シンガポール(1879年4月)と逐次設置した。…

※「モンブラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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