ヤクブ・ベク(読み)やくぶべく(英語表記)Muammad Ya‘qub Beg

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヤクブ・ベク」の意味・わかりやすい解説

ヤクブ・ベク
やくぶべく
Muammad Ya‘qub Beg
(1820ころ―1877)

19世紀、中央アジアのカシュガルに短命な政権を樹立した人物。西トルキスタンのピシケントに生まれる。滅亡寸前のコーカンド・ハン国の軍人となり、南下するロシア軍と連戦したが敗れ続けた。たまたま東隣の清(しん)朝治下のイスラム教徒が起こした反乱に呼応して、1865年イスラム教団の名家ホージャを擁してカシュガルに侵入した。やがてホージャを追放して独自の政権を確立し、その版図はタリム盆地全域に及んだ。彼は当時の国際関係を巧みに利用して独立を維持していたが、態勢を整えた清朝左宗棠(さそうとう)軍の反撃に敗れ、混乱のうちに1877年、コルラオアシスで急病死し、その政権も崩壊した。

[堀 直]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヤクブ・ベク」の意味・わかりやすい解説

ヤクブ・ベク
Ya`qūb Beg, Muhammad

[生]1820頃
[没]1877
東トルキスタン支配者コカンド・ハン (浩罕汗) 国部将としてロシアと戦ったが,1865年に東トルキスタンのカシュガルに侵入し,その支配者となった。のちさらに東方勢力を伸ばしたが,77年に清朝の左宗棠軍隊に敗れ,自殺した。

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