ヤラワチ(英語表記)Mahmūd Yalawāch

改訂新版 世界大百科事典 「ヤラワチ」の意味・わかりやすい解説

ヤラワチ (牙老瓦赤
)
Mahmūd Yalawāch
生没年:?-1255?

モンゴル帝国初期の財政官。ホラズム国の首都ウルゲンチの人。〈牙剌洼赤〉と漢音訳される場合もある。1220年,チンギス・ハーンの西域遠征でホラズム国が滅びるや,その子マスードとともに来降,モンゴルに仕えて西域の賦税を掌る。41年,東方に召喚され華北属領の徴税に当たる。続く太宗后皇監国時代には西域商人出身の財務アブドゥル・ラーマンが財務を主宰したため地位を失ったが,定宗朝にラーマンが処刑されるや旧地位に復活,51年(憲宗1)には燕京行尚書省事に任ぜられ,漢地の税務を担当すること数年,その間,ラーマンがかつて提唱して許されなかった銀七両制包銀税を6両に減額して実施に移した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヤラワチ」の意味・わかりやすい解説

ヤラワチ

イェルワジ(牙老瓦赤)」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のヤラワチの言及

【元】より

…しかしながら経略の進展に伴って属領の範囲が拡大し,その隷属度にも安定が加わってくると,これら広大な地域に対しても中央からする自主的・一元的統治の必要と意欲が生じてくる。 太宗朝の初年,ホラズム人ヤラワチ,ウイグル人田鎮海,女真人粘合重山,金国人耶律楚材らをもって構成された政治局が新設されるが,それは属領における種族・文化上の相違を考慮しつつ,それぞれに実行すべき基本政策(たとえば徴税制度についてならば,遊牧民では家畜数を単位とするのに対して,西域では人丁別,中国には戸別単位を適用するという原則の樹立のごとき)の審議決定機関にほかならなかった。黄河以北の漢地属領についていうならば,この新設の政治局による立案によって戸割税としての地税・課利(商税,専売税)の税目が立てられ,その徴収のために設置された十路徴収課税所(燕京,宣徳,西京,太原,平陽,真定,東平,北京,平州,済南の十路)が実に当地における正式制度の嚆矢(こうし)だったのである。…

※「ヤラワチ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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