ユダヤ音楽(読み)ユダヤおんがく

改訂新版 世界大百科事典 「ユダヤ音楽」の意味・わかりやすい解説

ユダヤ音楽 (ユダヤおんがく)

ユダヤ音楽は,本来セム語系諸族のユダヤ民族に帰属するものとして,その形態と性格は西アジア音楽と共通の次元でとらえられる。しかしながらそれは,西暦紀元直後より本格化したユダヤ民族の離散(ディアスポラ)とそれに伴う文化変容のなかで,きわめて特色ある展開をするにいたった。

(1)古代イスラエル時代(放浪期,王国期) この時代の音楽は,おもに旧約聖書から類推できる。旧約聖書には,音楽の始祖ユバルについての記事を筆頭に,預言の音楽,祈りの歌,仕事歌,儀式のための付随音楽,愛歌,哀歌,宴のようす,女性の歌と踊り,音楽治療(例:うつ病のサウル王のためにリラを弾くダビデ)など,この時代を通じての音楽状況に関するさまざまの言及がみられ,さらには,《紅海渡りの歌》《ミリアムの歌》《井戸の歌》などの歌の詞や,まとまった歌詞集成としての《詩篇》《雅歌》《哀歌》なども含まれている。旧約聖書にはまた多くの楽器名が登場する。体鳴楽器として小型シンバル,小型ベル,がらがらなど,膜鳴楽器として片面太鼓(トフ)など,気鳴楽器として角笛(ショファル),トランペット,リード笛(ウガブ,ハリール)など,また弦鳴楽器として,リラ(キンノール),ハープ(ネベル)など。これらの楽器は,パレスティナ地方の考古学的発掘物のなかにも,断片的ながら散見される。

 イスラエル王国の建設以後は,エルサレムの神殿が宗教音楽のメッカとなった。そこでの儀式音楽については,旧約聖書の《詩篇》から概要がつかめる。それは,即興性を排除した厳格なメリスマ風の合唱で,楽器の伴奏と相まって,ヘテロフォニックな色彩をもっていた。歌唱様式には,斉唱,交唱,応答唱,連禱があり,世襲の祭祀音楽家集団〈レビ人〉により演奏されたが,それに対し,神殿に参集した会衆が間投詞(アーメン,ハレルヤ,ホシャナなど)や反復句を唱えることもしばしばあった。また,そこではすでに各種の旋法も確立していた。

(2)離散時代 後70年のエルサレム神殿陥落により,古代イスラエルの宗教形態はその幕をおろし,それに代わってシナゴーグの音楽が,新しいユダヤ音楽の伝統の中心を形成した。そこでは楽器は,ショファル以外は用いられなくなり,儀式音楽はもっぱら無伴奏の声楽を主体とした。この儀式音楽の根幹をなすものは,旧約聖書の朗唱(カンティレーション)で,その朗唱法は900年ころパレスティナで,アクセント体系(タアミームTa'amim)として完成した。ユダヤ教会ではまた,祈禱歌も歌われた。なお,これらユダヤ教会歌の様式は,初期キリスト教会に採用され,その聖歌の成立に大きく貢献した。たとえば,グレゴリオ聖歌の詩篇唱が,ユダヤのそれを原型としていることは,西洋音楽史では周知の事実である。6世紀には,スペインのユダヤ人の間で,ビザンティンやアラブの影響下に,韻律的な賛歌(ピュートPiyyut)が生まれ,シナゴーグ音楽に新しいレパートリーを加えた。次いでこの賛歌のための専門の詩人兼歌手の合唱長(ハザン)が誕生し,彼らはその後,もちまえの美声による即興的な名人芸風の歌い方で会衆を魅了した。離散時代のユダヤ人は,地域により大きく分かれ,スペイン・地中海系はセファルディムと呼ばれ,中央・東ヨーロッパ系(近代にはアメリカにも移住)のユダヤ人はアシュケナジムと呼ばれる。彼らは,共同体周辺との交流の結果,その音楽様式をもそれぞれに変容させていった。まずセファルディムは,アラブとの接触から色彩豊かなアラブ・アンダルシア風の音楽を創造し,また,スペイン語とヘブライ語の混成言語であるラディノ語によるフォークソングをもつくり出した。ちなみに,オリエントイエメンイラクペルシアグルジア,ブハラ,クルディスターン,インド,エチオピアなど)のユダヤ人共同体は,セファルディム系ではあるが,おのおの特色ある固有の音楽形態を保っており,ことにイエメンのユダヤ人は,旧約聖書の時代までもさかのぼりうるほどの古い音楽の姿を今日まで伝えていて注目される。

 これに対し,アシュケナジムは,ヨーロッパ文化への同化が激しく,ユダヤ教の改革と軌を一にして,その宗教音楽も合唱長で作曲家のズルツァーSolomon Sulzer(1804-90)らにより,西欧的な雰囲気をもつものに変えられた。こうした現象の延長線上で,ヨーロッパ芸術音楽の分野では多くのユダヤ系音楽家が活躍した(トリンベルクJüsskind von Trimberg(12世紀),ロッシSalamone de Rossi(1570?-1630ころ),メンデルスゾーン,マーラー,シェーンベルク,アルトゥール・ルビンステイン,メニューインら)。またそれと同時に,ユダヤ風の音楽作品も西洋音楽遺産のなかに加わった(M.ブルッフの《コル・ニドライ》,ブロッホの《ヘブライ狂詩曲シェロモ》など)。

 アシュケナジムのうち東ヨーロッパ,とくにポーランドウクライナのユダヤ人たちは,18世紀の半ばに,ユダヤ神秘主義(ハシディズム)を興し,それに伴って,スラブ風なニュアンスに富む即興の母音唱法によるリズミカルな民衆的宗教賛歌ニーグンNiggunとそのダンスを生み出した。また彼らは,ドイツ語とヘブライ語の混成言語イディッシュ語によるフォーク・ソングの世界をも開花させた(《ドナ・ドナ》など)。

 なお,現代イスラエルの音楽は,この長い離散時代に醸成された多様なユダヤ音楽の一大集約と,さらにその融合のなかからの新しい展開という形でとらえることができる。
イスラエル国[音楽]
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユダヤ音楽」の意味・わかりやすい解説

ユダヤ音楽
ゆだやおんがく

ユダヤ民族の音楽。その長い歴史的変遷と民族の地理的拡散のなかに主として口伝によって伝承されてきたため、その音楽には多様な様相がみられる。

[田井竜一]

古代ヘブライ期

『旧約聖書』の記述によると、礼拝や祈祷(きとう)に伴う音楽と舞踊、戦いの勝利の音楽などさまざまな音楽が演奏されていたことがうかがえる。楽器では小形シンバル、枠太鼓、リラの類、リード笛、銀製トランペット、角笛(つのぶえ)(ショファール)などの名があげられる。このうち、ショファールは今日のユダヤ教儀式でも使用されている。さらにダビデ・ソロモン時代(前10世紀以後の王政時代)には、神殿において犠牲の奉献と結び付いた盛大な礼拝音楽が演じられた。

[田井竜一]

離散期

紀元70年のエルサレム第二神殿崩壊後、ユダヤ民族は全世界に離散してゆくが、のちに三つのグループが形成されるようになった。その第一はイエメン、イラク、イランなどに居住するオリエント系で、もっとも古いユダヤ音楽の伝統を保っているといわれている。第二はセファルディムとよばれるスペイン・ポルトガル系ユダヤ人で、スペインとアラビア音楽の影響を受けて豊かな音楽文化を発展させた。またヘブライ語とスペイン語との混合言語であるラディーノ語による民謡(『フランスの王様』など)も生まれた。第三はアシュケナジムとよばれるドイツ・ポーランド・ロシア系ユダヤ人で、その音楽はきわめて表現・技巧的な性格をもっている。のちにヘブライ語とドイツ語の混合言語であるイディッシュ語による民謡(『ドナ・ドナ』など)も形成された。

 一般に離散期のユダヤ音楽には、古い伝統を受け継ぐ一方、居住地周辺の諸民族の音楽を取り入れそれと融合してゆく傾向がある。また離散期にはユダヤ教会(シナゴーグ)における典礼音楽も体系化され、『旧約聖書』の朗誦(ろうしょう)、詩篇(しへん)唱、祈祷歌、讃歌(さんか)などの唱法が整った。さらに18世紀にはアシュケナジムのなかでユダヤ教神秘主義ハシディズムがおこり、きわめてバイタリティーに富んだ讃歌を生み出したが、やがてそれは母音唱法によることばのない歌ニーグンに発展していく。

[田井竜一]

現代ユダヤ

19世紀末以降シオニズム運動のもとでパレスチナに移住を開始したユダヤ人は、出身地ではぐくんできた豊かな音楽文化を持ち寄った。また1948年のイスラエル建国以後は、現代ヘブライ語によるフォーク・ソング(『マイムマイム』など)も多数生まれている。さらにユダヤ人のアメリカへの移住は20世紀に入って頂点に達したが、やがてポピュラー音楽を中心に、ユダヤ系アメリカ人の音楽家がアメリカのみならず世界の音楽界に広く影響を与えるに至った。その一例として、本来はイディッシュ劇場のための作品であったミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』(シェルドン・ハーニックSheldon Harnick(1924―2023)作詞、ジェリー・ボックJerry Bock(1928―2010)作曲、1964初演)をあげることができる。

[田井竜一]

『水野信男著『ユダヤ民族音楽史』(1980・六興出版)』『水野信男著『ユダヤ教の聖歌』(1986・エルサレム宗教文化研究所)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユダヤ音楽」の意味・わかりやすい解説

ユダヤ音楽
ユダヤおんがく

ユダヤ人の遊牧・農耕時代に,労働に結びついた交互唱を含む民謡があり,キンノル (リラ型弦楽器) ,ウガーブ (管楽器あるいはハープの一種と解釈される) などの楽器が使われた。宗教音楽としては,ショファル (角笛) の吹奏や賛歌が歌われた。その後イスラムが興るまでのユダヤ教会シナゴーグの音楽は,初期キリスト教音楽とほとんど変りがないが,アラビア人に征服されたのちは,ハザン (賛歌の独唱歌手) およびハザニムが流行し,以後は,ドイツ,イタリアなどヨーロッパの芸術音楽の影響を受けて発展しながら,18世紀のハシディズムの宗教歌ニグン (無言歌) などを生んだ。 (→イスラエル音楽 )

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