ヨハネス

精選版 日本国語大辞典 「ヨハネス」の意味・読み・例文・類語

ヨハネス

(Johannes)
[一] 一二世。ローマ教皇在位九五五‐九六三)。神聖ローマ帝国初代皇帝オットー一世の戴冠式を行なう。オットーから受けた特権を乱用して罷免された。九六四年没。
[二] 二二世。第三代アビニヨン教皇(在位一三一六‐三四)。教皇庁の財政・司法・行政を改革。「クレメンス教令集」を編纂公布し、神学上の多くの論争を行なった。(一二四五頃‐一三三四
[三] 二三世。教会分裂時代の対立教皇(在位一四一〇‐一五)。一四一三年ウィクリフ説を異端断定フスを宗教会議に召喚。一五年教会統一をはかるコンスタンツ宗教会議で罷免された。一四一九年没。
[四] 二三世。ローマ教皇(在位一九五八‐六三)。イタリア人。一九六二年第二回バチカン公会議を召集。六三年、回勅「地上の平和」を発布、世界平和を訴えた。(一八八一‐一九六三

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デジタル大辞泉 「ヨハネス」の意味・読み・例文・類語

ヨハネス(Johannes)

ローマ教皇の名。
(22世)[1245ころ~1334]アビニョン時代の第196代教皇。在位1316~1334。フランスの政策に同調してドイツの皇帝選挙に干渉。教皇庁の組織・財政再建に努めた。
(23世)[1881~1963]第261代教皇。在位1958~1963。回勅公会議・各国歴訪を通じて、教会合同・世界平和を呼びかけた。

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改訂新版 世界大百科事典 「ヨハネス」の意味・わかりやすい解説

ヨハネス(ソールズベリーの)
Johannes
生没年:1115ころ-80

12世紀ヨーロッパを代表するイギリスの文筆家,人文主義者。英名ジョンJohn。ソールズベリーSalisburyの近くで生まれ,フランスに渡ってパリ,シャルトルで弁証論,文法,修辞学,神学を学ぶ。アベラール,ギヨーム・ド・コンシュ,ギルベルトゥス・ポレタヌスに師事したほか,クレルボーのベルナールとも親交があり,T.ベケットに仕え,そのカンタベリー大聖堂での殺害を目撃するなど,この時代の学問・文芸活動および社会的激動のただ中に身を置き,〈12世紀ルネサンス〉の立役者の一人となる。晩年シャルトルの司教に任ぜられ,同地で没する。多数の書翰,年代記,伝記的著作のほか,人文主義的な学問の理念を擁護する論理学的著作《メタロギコン》,および君主論,暴君殺害を正当とする理論などをふくむ《ポリクラティクス》などがあるが,随所に普遍論争をふくむ当時のさまざまの哲学や神学説の紹介,人物描写が名文でつづられており,〈12世紀のエラスムスあるいはジョンソン博士〉〈英国の学問教養の中心人物〉と呼ばれるのにふさわしい。
執筆者:

ヨハネス(テープルの)
Johannes von Tepl
生没年:1350?-1414

中世後期のボヘミア(チェコ)の作家。北ボヘミアの都市ザーツSaaz(現,ジャテツ)の文書官,ラテン語学校校長を務めたので,ザーツのヨハネスとも呼ばれる。ドイツ語の散文で書かれた短編《ベーメン(ボヘミア)の農夫》(1400ころ)の作者として知られるが,これは論争文学の系譜に連なる作品で,愛妻を産褥(さんじよく)で失った農夫(ただし紙の畑を耕す農夫すなわち文筆の人,作者自身を暗示する)と死神との間にレトリックを駆使した論争が展開する。現世否定の中世思想を代弁する死神に対して,農夫は生に対する人間の権利を主張して譲らず,結局神の裁決を仰ぐが,神は農夫には善戦を嘉(よみ)して名誉を,死神には勝利を与え,生命は死神に,肉体は土に,魂は神に帰すべきことを説く。中世的伝統に深く根を下ろしながら,イタリア・ルネサンスの影響の見られるドイツ初期人文主義の記念碑的作品。また言語史のうえでは,新高ドイツ語の特徴を示す先駆的作品として注目される。
執筆者:

ヨハネス(カッパドキアの)
Johannes

ビザンティン皇帝ユスティニアヌス1世治下のオリエンス道長官(在任530-541)。ギリシア名ヨアンネスIōannēs。生没年不詳。アナトリア中部のカッパドキア出身。辣腕をふるい重税を取り立て,皇帝のローマ帝国復興の資金を集めた。皇帝の信頼は厚かったが,市民の不満の的であった(532年のニカの乱など)。皇妃テオドラの陰謀により失脚,司祭の身分に落とされエジプトに流刑。皇妃の死(548)後帰京を許されたが,終生聖職者で終わる。その生涯は歴史家プロコピウスの《戦史》に詳しい。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヨハネス」の意味・わかりやすい解説

ヨハネス
Johannes

教皇セルギウス2世(在位 844~847)の対立教皇(在位 844.1.)。ローマの民衆から強い支持を受けた大司教であり,貴族階級の推すセルギウス2世を退けて 844年1月に教皇に選出された。同時にセルギウス2世も皇帝の勅許を得ないままサン・ピエトロ大聖堂で教皇に登位した。ヨハネスはラテラノ宮殿にこもっていたが,貴族らに殺されるところを,セルギウス2世の介入により命を救われ,修道院に幽閉された。844年6月,セルギウス2世はフランク帝国(→神聖ローマ帝国フランク王国)の皇帝ロタール1世(在位 840~855)の承認を受けて正式に教皇となり,それ以降のヨハネスの記録は残されていない。

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世界大百科事典(旧版)内のヨハネスの言及

【シャルトル学派】より

…シャルトルのベルナールはプラトンの《ティマイオス》に従って自然有機体説をとなえ,ベルナルドゥス・シルウェストリスはこれに生命を与える〈宇宙霊魂〉を神的なものに高めて汎神論的傾向をおびるに至った。このプラトン主義のゆえにイデアの実在が説かれ,ギルベルトゥス・ポレタヌスとソールズベリーのヨハネスはこれを主張したが,同時にアリストテレス主義に従って個体概念の成立にも関心を示した。ヨハネスはこの学派の中心人物で,古典にもとづく人文主義を掲げ,修辞学を盛んにしたほか,叙任権闘争においては自然法を実定法に優先させる考えを示して,これに反する君主を抹殺すべきことを説いた。…

※「ヨハネス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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