ラテンアメリカ美術(読み)ラテンアメリカびじゅつ

改訂新版 世界大百科事典 「ラテンアメリカ美術」の意味・わかりやすい解説

ラテン・アメリカ美術 (ラテンアメリカびじゅつ)

メキシコ以南のアメリカ大陸に行われた美術。本来スペイン,ポルトガルなどヨーロッパ諸国による発見・征服後をラテン・アメリカというべきであるが,原住民が残した文化はヨーロッパのそれと融合し,近代以降に独自の展開を示す。

メソアメリカとアンデスでは,前1000年以降,美術の発展が著しい。メソアメリカでのオルメカ文化は大石彫,土器,ヒスイ(翡翠)や蛇紋岩の彫刻に独特の表現様式を作りあげた。オルメカ様式の影響により各地の地方的文化が開花するが,とくにオルメカ様式の影響は南部で強く,イサパ様式を経て古典期マヤ美術が導き出された。一方,高原地方ではテオティワカン文化モンテ・アルバンがそれぞれ独自の美術様式を発達させた。マヤ美術は後古典期(10~16世紀)になると衰えをみせるが,高原ではトルテカやアステカ,ミシュテカなどの諸様式が展開した。オルメカ様式をはじめメソアメリカ美術の諸様式は,独特の建築や土器を生み出したが,石彫はオルメカに端を発し,マヤ文化のなかで洗練された。テオティワカンではタルー・タブレロ式建築(傾斜壁と垂直壁の組合せ壁)と漆喰塗多色三脚土器,石製仮面,モンテ・アルバンでは黒灰色の人像付骨壺,マヤでは石碑彫刻,建築にみられる漆喰レリーフ壁,多色土器などに技巧のさえがみられる。

 アンデスではチャビン文化が石彫,土器,織物,金細工にチャビン様式を確立し,その後地方的様式が多彩な展開をみせ,15世紀中ごろインカ帝国の統一とともにインカ様式がひろまる。北海岸では象形土器,南海岸では多色土器,北高地ではカオリンを用いた白地多彩土器が長い伝統となっていたが,その他チャンカイ谷の白地黒彩土器,南高地のプカラやティアワナコの多色土器や石彫にみる地方的様式もある。染織ではチャンカイ文化とナスカ文化が技術と表現の点ですぐれた作品を多く残している。石彫はチャビン文化のもとで最も精緻で均斉のとれた構成の美を達成したが,その後の発展はティアワナコ文化を除くとほとんどない。インカ建築の壁の巨石の配置に美的構成をみることもできよう。

 中央アメリカではチリキ様式やニコヤ様式の多色土器と,腰掛けの形をした特異な石彫,黄金細工などが伝統を形成した。黄金細工はコロンビアで著しい発達をとげる。コロンビアのマグダレナ川源流の高原にはサン・アグスティンの石彫地帯がある。エクアドルでは前3000年ごろのバルディビア文化以来土器の伝統が長く,チョレラ,グアンガラ,エスメラルダスなどの地方様式が生まれている。

 オリノコ川やアマゾン川流域の熱帯低地ではメソアメリカからアンデスにかけての高文化地域に比べ見劣りがするが,バランコイド,マラジョアラ,サンタレンなどの文化伝統のもと,手のこんだ装飾土器が作られた。また16世紀のアマゾン中流部では,彩色土器が作られ,その見事さはスペイン人を驚かせている。
アンデス文明 →メソアメリカ
執筆者:

1492年コロンブスが新大陸を発見して以来,アンティル諸島から植民活動を開始したスペイン人たちは16世紀に入ってメキシコやペルーにおいて高度に発展した土着文明と出会った。スペイン人の征服は迅速かつ徹底したものであったにもかかわらず,原住民インディオの文化は征服後も継続していった。このため北アメリカのニューイングランドやカナダの場合とはまったく異なり,ラテン・アメリカでは西欧文化と土着の文化との融合のなかから植民地における独創的な芸術が生まれたのである。征服は単に黄金を求めるだけではなく,カトリックの精神的征服の意味があり,フランシスコ会はじめさまざまな修道会組織が原住民の宣教活動に参加した。17世紀初頭までにラテン・アメリカ全土で7万の教会堂と500の修道院が建設され,教会は植民地美術の偉大なパトロンであった。しかし,様式の面からみれば,各地の原住民の維持してきた技術や感性,材料など,また彼らをとりまく自然環境の違いにより,ラテン・アメリカ様式というような統一的なものはついに生まれなかった。なかでもアステカ,マヤ,インカなどの高度に発展した土着文明の伝統をもつメソアメリカ,アンデス地方ではヨーロッパ文明の取捨選択が行われ,教会の装飾に非キリスト教的装飾意匠が加えられたし,人的・物的環境に合致した幾つかの独創的な作品も創造された。メキシコでは広大なアトリオatrio(石または日乾煉瓦の壁で囲まれた教会の敷地)に原住民の改宗のために屋外教会やポーサposa(小礼拝所)が設けられ,その後石造の教会が建てられた。スペインから伝えられたムデーハル様式が好まれ,プラテレスコ様式も16世紀建築の典型として現れる。16世紀の絵画はまず宗教建築内部の壁画として登場するが,原住民職人はヨーロッパから輸入された木版をモデルとしたため,白黒の線描画が多くみられる。ヨーロッパ人の作家ではフランドル人シモン・ペレイン(メキシコ)やイタリア人ベルナルド・ビイッティ(ペルー)が活躍した。16世紀末期から教会組織が整備されていくにつれ,司教座聖堂建設が盛んになり,ヨーロッパの様式を反映してマニエリスム様式のものが多く現れた。マニエリスムの画家にはバルタサル・デ・エチャベ・イビア(メキシコ)やメルチョール・ペレス・オルゴイン(ボリビア)らがいる。

 17世紀後半バロックの時代になると,その表現は地域によってかなり異なってくる。メキシコではサロモニコ式らせん円柱エスティピテ(逆台形角柱)を多用したチュリゲレスコ様式が流行したが,ペルーではエスティピテはほとんどみられない。またリマ市大聖堂やキト市のラ・コンパーニャ教会の都市型バロックと比べ,クスコやチチカカ湖周辺都市など土着の伝統が強い地方の作品は西欧バロックの延長とはとてもみえないものである。一方,ブラジル植民地の美術は17世紀後半になってやっと形成される。レシフェなどの海岸部の都市で,幅が狭く,垂直方向に高い教会正面部やフランス窓をもった海岸バロック様式が生まれた。しかしブラジルのバロックの頂点はアレイジャディーニョの活躍したミナス・ジェライスにみられる。絵画ではスペインのスルバランムリーリョの影響が強かったが,一般に明暗やダイナミックな効果よりも平面装飾性への志向が強かった。ビリャルパンド(メキシコ)やミゲル・カブレラ(同),ミゲル・デ・サンチアゴ(エクアドル),ディエゴ・キスペ・トティト(ペルー)らの作家が輩出した。

1785年のメキシコにおけるアカデミア・デ・サン・カルロス開校に象徴されるように,19世紀に入ると新古典主義が主流となる。イエズス会士の追放と相まって,国王,ついで新しい独立国家が美術のパトロンとなり,美術の世俗化現象が促進された。ホアン・マニュエル・ブラネス(ウルグアイ)のような肖像画,ラモン・トレス・メンデス(コロンビア)やJ.M.ベラスコ(メキシコ)の自然主義風景画,アシリア・グイリョン(ペルー)やメルチョール・マリア・メルカド(ボリビア)の素朴画などのジャンルが確立した。19世紀末からヨーロッパ,とくにパリとの直接交流が増え,印象派や後期印象派の画風がもてはやされるようになった。20世紀初頭から20年代にかけてはモダニズムの影響を受け,各国で美術協会が生まれた。ホラシオ・ブトラー(アルゼンチン)やカルロス・エンリケス(キューバ)のフォービスムE.ペトルチ(アルゼンチン)やウィフレッド・ラム(キューバ)のキュビスム,ラサール・セガル(ブラジル)の表現主義,トレス・ガルシア(ウルグアイ)の構成主義など,さまざまな試みがなされた。そのなかでもハイチやニカラグアの素朴画は注目に値する。この時代,西欧モダニズムに対抗できる運動を確立したのはメキシコで,D.リベラオロスコシケイロスが中心となった壁画運動であった。メキシコはまたJ.G.ポサダに代表される挿絵や版画などの領域ですぐれた作品を生み出している。メキシコの壁画作家たちはそれまでヨーロッパの美術を移植,模倣するだけの状況から初めてみずから案出した形式を通じて独創的表現を獲得したという意義があり,またそれゆえに他のラテン・アメリカ諸国の画家にも多くの追従者を生み出した。R.diタマヨ(メキシコ)やE.カバルカンティ(ブラジル)らのように壁画にもたずさわりタブローも捨てずに土着の感性を表現していった画家たちもいる。1930年代に国際派と呼ばれる画家たちが登場する。R.S.A.マッタ(チリ),ラウル・マルティネス(キューバ),L.カリントン(メキシコ)らは国際シュルレアリスム運動のなかで制作し,またアレハンドロ・オテロ(ベネズエラ),フリオ・レ・パルク(アルゼンチン)らは幾何的抽象表現の方向に向かった。50年代後半からは新しく美術の中心となったニューヨークで腕を振るうマリソル(ベネズエラ),アルマンド・モラレス(ニカラグア),フェルナンド・ボラロ(コロンビア)らが高く評価されている。ポスターなどグラフィック・アートの分野で革命後のキューバが果たした役割は大きい。ラテン・アメリカにおける現代建築の分野では1920年代からいち早くモダニスムの動きをとらえたが,技術水準,素材,気候などの問題解決には長い時間がかかった。ル・コルビュジエの理論の影響が強く,また政府の公共事業が大半を占めているのがラテン・アメリカ現代建築の特色であろう。L.コスタ(ブラジル)やC.ビリャヌエバ(ベネズエラ),セルヒオ・ララリン・ガルシア(チリ)らの後を受け,ブラジリアを設計した建築家O.ニーマイヤー(ブラジル)やシェル構造を追求するエンリケ・デ・ラ・モラ(メキシコ)などがラテン・アメリカの現代建築に問題提起をしてきている。
コロニアル・スタイル →壁画運動
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラテンアメリカ美術」の意味・わかりやすい解説

ラテンアメリカ美術
ラテンアメリカびじゅつ

中南米美術」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android