精選版 日本国語大辞典 「ラング」の意味・読み・例文・類語
ラング
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ドイツおよびアメリカの映画監督。戦前のドイツの〈表現主義映画〉の代表的監督として,また戦後のハリウッドのスリラー映画の名匠として知られる。ウィーン生れ。建築と美術を学び,第1次世界大戦で負傷して入院中に書いた脚本がヨーエ・マイJoe May監督(1880-1954)によって映画化されたのち,プロデューサーのエーリヒ・ポマーに認められて映画界に入り,1919年にデッカ社の監督となる。敗戦後の〈時代の一つの記録〉といわれる《ドクトル・マブゼ(《マブゼ博士》)》(1922),民族的伝説を壮大に映画化した《ニーベルンゲン》(1924),未来都市を空想的に描いてSF映画の古典となった《メトロポリス》(1926)が世界的に注目され,また,少女殺しの実話をもとにした最初のトーキー作品《M》(1932)は,音と画面との対位法を効果的に用いた歴史的傑作とされているが,公開されてから3年後には,ナチスの禁止映画のリストに載せられた。そしてまた,《ドクトル・マブゼ》の第2部,ラングによれば〈ヒトラーが用いたテロリズムの方法を示す寓話〉であり〈ナチズムの秘密の理論を暴露しようとした〉《怪人マブゼ博士》(1932)は,ナチスによる禁止映画第1号となった。にもかかわらず,ヒトラーとともに《ニーベルンゲン》を激賞するゲッベルスに,宣伝省映画局長への就任を懇望されたラングは,ユダヤ人である自分を利用しようとする魂胆を察知してフランスへのがれ,《リリオム》(1933)をつくったのちアメリカへ渡った。
35年,ドイツ人亡命者として市民権をあたえられ,アメリカ民主主義の汚点である私刑(リンチ)の問題を中心に,アメリカ社会の矛盾や非情さを告発した三部作,《激怒》(1936),《暗黒街の弾痕》(1937),《真人間》(1938)をはじめ,西部劇(《地獄への逆襲》1940,《西部魂》1941,《無頼の谷》1952)やスリラー(《死刑執行人もまた死す》1942,《飾窓の女》1944,《外套と短剣》1946,《復讐は俺に任せろ》1953,等々)をふくめて《口紅殺人事件》(1956)にいたるまで,しばしば〈妥協〉をしいられながらも20本あまりの映画を撮って,〈亡命映画人〉としてハリウッドに足跡を残した。58年にヨーロッパへもどり,第1部《王城の掟》と第2部《情炎の砂漠》からなる二部作の冒険スペクタクル《大いなる神秘》(1959)を撮るが,それにつづく西独・仏・伊合作映画《怪人マブゼ博士》(1960)が最後の監督作品となった。ジャン・リュック・ゴダール監督《軽蔑》(1963)に〈フリッツ・ラング監督〉の役で出演したのちアメリカへ帰り,ビバリー・ヒルズで余生を送った。
執筆者:柏倉 昌美
アメリカの女性写真家。ニュージャージー州ホボケンに生まれた。フォト・セセッションの創立メンバーの一人であるC.H.ホワイト(1871-1925)の下で写真を学んだ。のちにサンフランシスコでスタジオを開き,E.ウェストン,A.アダムズらの〈f64グループGroup f64〉の写真家たちと親交を結ぶ。1935年からFSA(農地保全管理局)のスタッフ写真家となり,大恐慌で荒廃した農村地帯(特に移住労働者)のすぐれたドキュメントを撮った。それらの写真は,ときにJ.スタインベックの小説《怒りの葡萄》に比すべきものとも評され,厳しい現実に立ち向かう人間の悲惨な姿を正確にとらえたばかりでなく,尊厳にあふれたたくましさをも同時にとらえている。第2次大戦後は体を悪くして,あまり活動を行っていない。
執筆者:金子 隆一
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…S.ピープスの日記等には当時の古書の流通状況が語られている。やがてノディエ,ナポレオン,ディブディンT.F.Dibdin,ニュートンA.E.Newton,ラングA.Langらの愛書家(愛書趣味)が生まれ,古書を収集する趣味が流行するようになった。またブレーズW.Bladesのように古書を人類の知的遺産とみなし,これを保存するのは後続世代の義務だとする主張も現れ,古書の価値が広く認識されるようになった。…
…S.ピープスの日記等には当時の古書の流通状況が語られている。やがてノディエ,ナポレオン,ディブディンT.F.Dibdin,ニュートンA.E.Newton,ラングA.Langらの愛書家(愛書趣味)が生まれ,古書を収集する趣味が流行するようになった。またブレーズW.Bladesのように古書を人類の知的遺産とみなし,これを保存するのは後続世代の義務だとする主張も現れ,古書の価値が広く認識されるようになった。…
…1932年製作。《ニーベルンゲン》(1924)でドイツ表現主義映画を完成させたフリッツ・ラングのネロ社製作によるトーキー第1回監督作品。デュッセルドルフで起きた子ども殺害事件に取材し,小市民的な外見とおびえた表情の殺人狂(ピーター・ローレ)が強烈な印象を与えて,以後,映画に登場する社会から疎外された犯罪者像の原型となった。…
…さらにヨーロッパからハリウッドへ亡命あるいは移住してきた若い監督たちが,そのみずみずしいヨーロッパ感覚で,それまでアメリカ映画にはなかったまったく異質の心理的スリラーをつくって大きな刺激を与えたこともあった。オットー・プレミンジャー監督の《ローラ殺人事件》(1944),フリッツ・ラング監督の《飾窓の女》(1944),ビリー・ワイルダー監督の《深夜の告白》(1945),ロバート・シオドマク監督の《らせん階段》(1945)等々がそれである。 いわゆる〈セミ・ドキュメンタリー〉の手法を用いたスリラー映画も流行し,FBIの記録にもとづく《Gメン対間諜》(1945),実際の殺人事件を描いた《影なき殺人》(1947),集団脱獄事件を描いた《真昼の暴動》(1947),殺人犯の追跡を描いた《裸の町》(1948),FBIの記録による《情無用の街》(1948)などがつくられ,ルイ・ド・ロシュモントLouis de Rochemont(1899‐1978)のセミ・ドキュメンタリー・スタイルのニュース映画《ザ・マーチ・オブ・タイム》(1935‐51)に示唆されたといわれるこれらの映画の傾向は〈ニュー・リアリズム〉ともよばれた。…
…第1次世界大戦後の〈表現主義映画〉,そこから出発して国際的な評価を得たエルンスト・ルビッチ,フリッツ・ラング,F.W.ムルナウ,G.W.パプストといった監督たち,レニ・リーフェンシュタールのオリンピック記録映画によって代表される1930年代のナチス宣伝映画,そして国際的なスターとして知られるウェルナー・クラウス,コンラート・ファイト,マルレーネ・ディートリヒ,アントン・ウォルブルック,クルト・ユルゲンス,ホルスト・ブーフホルツ,ヒルデガルド・クネフ(アメリカではヒルデガード・ネフ),ロミー・シュナイダー,マリア・シェル,マクシミリアン・シェル,ゲルト・フレーベ等々の名が,〈ドイツ映画〉のイメージを形成しているといえよう。以下,第2次大戦後,東西二つのドイツに分割されて政治的対立の下に映画活動も衰退せざるを得なくなるまでの動きを追ってみる。…
…ドイツ映画。怪奇探偵映画の傑作として知られるフリッツ・ラング監督作品で,サイレント作品とトーキー作品2本(続編およびリメーク)がある。最初の作品は1922年製作,日本公開題名は《ドクトル・マブゼ》,原題は《Dr.Mabuse,der Spieler(賭博者マブゼ博士)》で,表現主義映画の代表作の一つに数えられている。…
…1926年製作のドイツ映画。フリッツ・ラング監督作品。1924年にアメリカを訪れたラングが,ニューヨーク港の船上からマンハッタンの摩天楼を望見してアイデアを得たという21世紀の未来都市の物語である。…
…それは複数の写真の組合せとキャプションとにより,視覚的な解説以上にテーマの内面的な真実へと迫ろうとする試みであった。〈フォト・エッセー〉という新しい方法への意識の確立は,すでに1937年のアイゼンシュテットによる《ワッサー女子大学》という組写真に対する,編集者の〈エッセイストとしてのカメラ〉という解説にも示されており,のちレナード・マッコムの,地方からニューヨークへ来て働きながらファッション・モデルになることを夢みる一人の女性の日常を追った《グウィンド・フィリングの私生活》(1948),フランコ政権下で昔ながらの伝統的な生活をする寒村の人々を描いたユージン・スミスの《スペインの村》(1951),アメリカのアイルランド系移民たちの姿を撮ったドロシア・ラングの《アイリッシュ・カントリー・ピープル》(1955)など,50年代を中心にして数多くの傑作が生まれた。《ライフ》はこれらの写真によって,いわゆるニュース写真では知ることのできない〈日常的な世界の中の隠された真実〉を読者に伝え,フォト・ジャーナリズムの新しいあり方を打ち立てたということができよう。…
※「ラング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...
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