ランフォード(読み)らんふぉーど(英語表記)Sir Benjamin Thompson, Count von Rumford

デジタル大辞泉 「ランフォード」の意味・読み・例文・類語

ランフォード(Count von Rumford)

[1753~1814]米国生まれの物理学者政治家アメリカ独立革命後英国に亡命し、英国やドイツで政治家として活躍した。のちに英国・フランスで熱と運動の関係を研究し、熱は運動の一形態であることを立証してエネルギー概念確立の先駆となった。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ランフォード」の意味・わかりやすい解説

ランフォード
らんふぉーど
Sir Benjamin Thompson, Count von Rumford
(1753―1814)

アメリカで生まれ、イギリス、ドイツで活躍した物理学者、政治家。本名ベンジャミン・トンプソンマサチューセッツ州に生まれる。少年時代から自然科学を独学、10代後半には熱に関心をもち、研究をした。1775年独立戦争勃発(ぼっぱつ)、彼はイギリス側についたが、1776年イギリスに亡命。

 イギリスでは植民地省に勤めながら、火薬の爆発力、海上信号法、兵器改良などの実験、研究を進め、王立協会会員に選ばれ、1781年には協会の機関誌に火薬についての実験報告をした。1784年からはバイエルン選帝侯の下で軍務大臣・内務大臣を務め、軍隊改組やさまざまな社会的問題の改良に努め、1793年伯爵に叙せられ、ランフォード伯を名のった。1798年イギリスに戻ってロンドンに住み、二つの大きな仕事に取り組んだ。その一つは、熱の物質説否定の決定的根拠と彼が考えた大砲の中ぐり実験の報告(1798)であり、もう一つは、科学の産業と生活への普及と応用を目的とした王立研究所ロイヤル・インスティチューション)の設立(1799)である。前者はバイエルン時代に大砲の中ぐり作業の監督中に着想し、実験によって熱の本性を運動とみなし、熱の仕事当量まで計算した。後者は友人のバンクスJoseph Banks(1743―1820)とともに計画、公開講義は2代目化学教授デービーとその助手から始まり、ファラデーの名講義は評判をよんだ。ランフォードは1804年イギリスを去り、パリ生涯を終えた。

高山 進]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「ランフォード」の意味・わかりやすい解説

ランフォード
Count Rumford
生没年:1753-1814

アメリカ生れの科学者,行政家。本名ベンジャミン・トンプソンBenjamin Thompson。マサチューセッツ州に生まれ,教職につくためにニューハンプシャー州コンコードに移り,1772年その地で14歳年上の金持の未亡人S.W.ロルフと結婚した。アメリカ独立戦争の際にはイギリス側について活動,ボストン陥落後はロンドンへ逃れ,植民省に職を得た。81年,大砲の点火口の最適位置や,火薬の調合と弾丸速度の関係などの科学的研究を発表し,ロンドンのローヤル・ソサエティ会員に選ばれた。アメリカでの軍隊勤務ののち,83年バイエルンに赴き,以後,バイエルン軍の幕僚長としてバイエルン選帝侯に仕え,93年には伯爵に叙せられ,コンコードの旧名称にちなんだランフォード伯を名のる。97年火薬試験用の装置を開発したが,この研究が熱の本性についての問題に取り組む契機となり,ミュンヘンの造兵厰で行った大砲の穿孔作業による発熱実験から,発生する熱が無限であることを明らかにし,熱の物質説を否定して熱の運動説を提唱した。また布地や毛皮の保温効果を調べ,熱の損失が主として伝導によることも明らかにしており,光の相対的強度を測定するための陰影光度計の考案もある。

 彼は行政面でも優れた手腕を発揮し,ミュンヘンにおける浮浪者対策として,彼らに衣食を与え労働を行わせる労働収容施設を作り,経済的に炊事を行うためにオーブンなどの器具や調理方法の改良を行い,またジャガイモやコーヒーの摂取を推奨した。99年ロンドンにもどり,新発明や改良についての知識を普及するための研究所の設立に尽力,1800年に国王により勅許が与えられ,ローヤル・インスティチューションとして同年に開設したこの研究所には,T.ヤングが自然哲学の教授として,またH.デービーが講演助手として採用された。05年にはフランスでA.L.ラボアジエの未亡人と結婚したが長くは続かず,14年8月孤独のうちにパリ郊外で死んだ。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「ランフォード」の意味・わかりやすい解説

ランフォード

本名ベンジャミン・トンプソンBenjamin Thompson。米国出身の政治家,軍人,物理学者。小売商,教師を務め,独立戦争では英軍将校となり,1776年英国へのがれ,火薬の研究で王立協会会員となる。1784年バイエルン選帝侯に仕え,軍制改革,大砲工場開設,土地改良,農事改良などの功績により神聖ローマ帝国の伯爵に叙せられ,ランフォード伯と名乗った。砲身の中ぐり作業中に多量の熱が発生するのを見て,と仕事の関係を量的に研究(1798年),熱の運動学的解釈の基礎をつくった。1799年バイエルンを辞しロンドンに移り,王立研究所を創立。1802年パリに移り,一時ラボアジエ未亡人と結婚した。
→関連項目トンプソン熱素説ローヤル・インスティチューション

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ランフォード」の意味・わかりやすい解説

ランフォード
Rumford, Count

[生]1753.3.26. マサチューセッツ,ウォバーン
[没]1814.8.21. フランス,オテーユ
アメリカ出身のイギリスの物理学者,政治家,軍人。本名 Sir Benjamin Thompson。ハーバード大学に学ぶ。アメリカ独立戦争の際イギリスのスパイとして働く。 1776年ロンドンに渡り植民局に勤める。この間物体の凝集に関する研究が認められ,ロイヤル・ソサエティ会員 (1779) 。その後ドイツ,バイエルン王室に仕え (1784) ,伯爵を授かる。ミュンヘン滞在中,大砲の砲身削孔の際の多量の発熱に基づいて,熱は物質ではなく,運動の一形態であることを説き,熱運動説とエネルギー概念確立に重大な貢献をなした (1798) 。その後イギリスに戻り,J.バンクスとともに王立研究所設立に尽力 (1799) ,またハーバード大学にランフォード教授職,ロンドン・ロイヤル・ソサエティにランフォード・メダルをそれぞれ設けた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のランフォードの言及

【コンコード】より

…また石材(花コウ岩)の加工地としても知られている。1727年に定住が始まり,33年にランフォードという名称で町となり,65年にコンコードと改称した。1808年に州都となり,53年市制を施行。…

【熱】より

… 18世紀の終りにはもう一つ重要な実験が行われた。砲身をくり抜くとき大量の熱が発生するのに驚いたランフォード伯(B.トンプソン)は,先を丸めたドリルを使い,水の中に入れた砲身にあてて回転させることにより,消費された仕事と発生した熱量との関係を調べたのである。彼は摩擦によって際限なく熱を発生できるのであるから,熱は運動に違いないと考えた。…

※「ランフォード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android