リクルート事件(読み)りくるーとじけん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「リクルート事件」の意味・わかりやすい解説

リクルート事件
りくるーとじけん

就職・住宅情報などの大手リクルート社が、事業拡大のため自由民主党実力者など与野党議員、経済界マスコミなどの幹部へ、公開後値上がり確実な関連会社未公開株をばらまいたり、献金をした事件。東京地検特捜部は1989年(平成1)、政界、日本電信電話株式会社(NTT)、当時の労働省、文部省の4ルートにわたって計12人を贈収賄罪で起訴した。政界ルートでは、元官房長官藤波孝生(ふじなみたかお)と元衆院議員池田克也の2人の有罪が確定している。

[橋本五郎]

事件の経過

この事件は1988年(昭和63)6月、川崎市助役への株譲渡疑惑が発覚、東京地検は同年10月のリクルート社元社長室長の逮捕を突破口に捜査に着手した。これと前後して、閣僚級の政治家、高級官僚、財界人がリクルートコスモス株の譲渡やリクルート社からの献金を受けていたことが判明した。閣僚では蔵相宮沢喜一、法相長谷川峻(はせがわたかし)、経済企画庁長官原田憲が相次いで辞任に追い込まれた。捜査当局は、89年2月にリクルート社元会長江副浩正(えぞえひろまさ)を逮捕、3月には、NTT元会長真藤恒(しんとうひさし)(1990年に有罪確定)、元労働事務次官加藤孝(1992年に有罪確定)、元文部事務次官高石邦男らを逮捕した。同年4月には首相竹下登周辺がリクルート社から5000万円の借金をしていたことが明らかになり、竹下が退陣を表明、さらに5月、藤波、池田が在宅起訴されるなど政界に激震が走った。

[橋本五郎]

政治的な意義

リクルート事件は直接現金を受け渡しするのではなく、値上がりが確実な未公開株を譲渡するという、もらう側からいえば、いわば「濡れ手に粟(あわ)」の新しい手口で注目された。政治家への譲渡は、自民党の首脳、実力者から将来性のある中堅議員まで含まれていた。その規模の広さは従来の政治スキャンダルにみられないもので、国民の強い政治不信を引き起こした。その結果、1989年7月の参院選で自民党は大敗し、与野党が逆転したが、この事件はその大きな要因となり、後の政治改革論議の糸口となった。

 元官房長官藤波孝生は、受託収賄をめぐって一審無罪となったが、二審で一転有罪となり上告したが、1999年10月、最高裁上告棄却の決定を行った。政治家に流れる金を単なる献金とみるか、賄賂(わいろ)と考えるかが焦点であった。最高裁が、その金を賄賂ととらえた二審判決を支持したことのもつ意義は小さくない。

[橋本五郎]

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百科事典マイペディア 「リクルート事件」の意味・わかりやすい解説

リクルート事件【リクルートじけん】

1986年9月,リクルート社が,政界をはじめ経済界,マスコミ界の実力者に子会社リクルートコスモス社の未公開株をばらまいた汚職事件。贈収賄罪などで12人が起訴され,1989年春には竹下登内閣が総辞職に追いこまれた。事件は,リクルートコスモス社の未公開株の譲渡に関するもので,未公開株は中曾根康弘竹下登宮沢喜一,安部晋太郎,渡辺美智雄ら,自民党の派閥領袖クラスの政治家をはじめ野党議員もふくめて広い範囲で渡っていたとされ,一大疑獄事件となった。未公開株譲渡は,1984年から1985年にかけて,江副リクルート会長(当時)が急成長した自社の政・財・官界での地位を高めるために行われたといわれる。江副は1989年贈賄罪で逮捕,裁判は14年の長きにわたったが,2003年,執行猶予つき有罪となり,文部省(現・文科省)・労働省(現・厚労省)の官僚,NTTの経営者らも有罪となったが,政界では,自民党の藤波孝生(労働大臣,官房長官を歴任)のみが受託収賄罪で起訴され,1999年有罪が確定した。しかし,中曾根は自民党離党,竹下登内閣は総辞職,その後,消費税問題,竹下の後を襲った宇野宗佑首相の女性スキャンダルなども重なって,自民党は1989年の参議院選で惨敗を喫し,結党以来はじめて参院単独過半数割れになるなど,この事件は戦後政治史の転換を示す象徴的な出来事となった。またこの事件を機に公職選挙法が改正となった。
→関連項目宇野宗佑宇野宗佑内閣江副浩正真藤恒日本吉永祐介

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リクルート事件」の意味・わかりやすい解説

リクルート事件
リクルートじけん

1980年代,情報サービス会社リクルート(→リクルートホールディングス)が政界,官界,財界の要人に,子会社のリクルートコスモスの未公開株を譲渡,贈賄罪に問われた事件。1985年から 1986年にかけて,自由民主党の有力者や野党国会議員のほか,労働省や文部省の高官,財界の大物などに対し,本人あるいは秘書名義などでリクルートコスモスの未公開株を譲渡し,店頭公開後に大きな売却益を上げさせた。1988年夏,神奈川県川崎市の助役がリクルートコスモス株の譲渡を受けていたと報道されたことを発端に,事件が中央政界に波及した。その過程でリクルートが政治家に多額の献金を行なっていたことや,政治家主催パーティ券を大量に購入していたことが判明,国民の政治不信が一気に高まった。その責任をとり 1989年6月に竹下登首相が辞職した。リクルート会長の江副浩正をはじめ贈賄側 4人,収賄側 8人の計 12人が起訴され,全員に有罪判決がくだされた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「リクルート事件」の解説

リクルート事件
リクルートじけん

1988年(昭和63)に発覚した疑獄事件。88年6月子会社の川崎市助役への贈収賄事件発覚に端を発し,就職情報産業のリクルート社の業績拡大を狙った,政財界有力者への未公開株の譲渡・売却という贈収賄事件に拡大した。その結果89年(平成元)江副浩正(ひろまさ)リクルート社前会長,真藤恒NTT前会長,藤波孝生元官房長官ほか多数が逮捕・起訴され,秘書官が疑惑に関係したとして宮沢喜一蔵相が辞任した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「リクルート事件」の解説

リクルート事件
リクルートじけん

1986年,リクルート社が事業拡大のため政界・経済界・マスコミの実力者に関連会社の未公開株をばらまいた汚職事件
その結果,江副浩正リクルート社元会長,真藤恒NTT前会長,藤波孝生元官房長官らが逮捕・起訴された。また,1989年春には竹下登内閣が総辞職に追いこまれた。

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