日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルイ(18世)」の意味・わかりやすい解説
ルイ(18世)
るい
Louis 18
(1755―1824)
フランス王(在位1814~24)。ルイ16世の次弟。初めプロバンス伯と称し、ルイ16世即位後は「殿下(ムッシュー)」とよばれた。フランス革命の初期には革命を容認する態度をとったが、反革命陰謀の疑いをかけられ1791年6月20日、ルイ16世のバレンヌ逃亡事件当日ベルギーに亡命、ついでコブレンツで弟アルトア伯(後のシャルル10世)と落ち合い、フランス国内の王党派と結んで反革命運動を展開した。1814年4月ナポレオン1世の廃位ののち亡命先のイギリスより帰国。サン・トゥーアン宣言により大革命の成果である基本的自由権と代議政体とを保障して王位につき、ブルボン王朝を復活させた。連合国とのパリ講和条約に調印するとともに、欽定(きんてい)憲法たる「憲章(シヤルト)」を発布して立憲王制を樹立した。15年ナポレオンの「百日天下」の間はベルギーへ亡命。ナポレオン没落後白色テロが荒れ狂い過激王党(ユルトラ)派が議会を支配したが、王は反動の行き過ぎを極力抑え、旧貴族と上層ブルジョアの間の和解を図った。16年の過激派議会の解散後リシュリュー、ドカーズら立憲王党派の手によって穏和な自由主義的改革が進められ、王の政治路線が定着するかにみえた。しかし、20年の王位継承者ベリー公暗殺を機に過激王党派がふたたび優勢となり、同派のビレールが首相となって反動政策を推進し、自由主義者や共和派との対立を深めたため、王の中庸、和解の政策は結局失敗に終わった。
[服部春彦]