ルーマニア民主化(読み)るーまにあみんしゅか

知恵蔵 「ルーマニア民主化」の解説

ルーマニア民主化

1989年12月、トランシルバニアティミショアラで、ハンガリー系の反体制派テケシュ牧師の強制連行に反対する住民のデモを治安部隊鎮圧したことから、反政府デモが全国に広がった(ティミショアラ事件)。チャウシェスク大統領は12月21日に首都ブカレストで官製集会を開いて事態の収拾を図ったが、逆にそれが反政府デモに変わった。政府は治安部隊を投入してデモの鎮圧に乗り出したため、多数の死傷者が出た。しかし反政府デモはやまず、翌日には国軍兵士が反政府側につき、治安部隊との間で市街戦が繰り広げられた。その間にチャウシェスク大統領夫妻は逃亡し、政府は事実上崩壊した。25日には逮捕されたチャウシェスク夫妻が特別軍事法廷で死刑の判決を下され、同日中に処刑された。政権を握ったのは反体制派市民からなる救国戦線で、90年5月に行われた総選挙でも圧勝。同時に行われた大統領選挙では救国戦線議長のイリエスクが85%を得票して当選し、91年10月に再選された。96年11月の総選挙では野党連合の民主会議が勝利し、チョルベアを首班とする内閣が成立。体制転換以来、政権に就いてきた社会民主党が初めて敗北した。大統領選挙でも、民主会議のコンスタンティネスクがイリエスクを破って当選。しかし経済不振が続く中、2000年11月の総選挙では野党の社会民主グループが勝利を収めた。大統領選挙でもイリエスクが大統領に復帰した。04年11月の議会選挙では社会民主党が勝利したが、続く大統領選挙ではブカレスト市長のトライアンバセスクが当選した。

(柴宜弘 東京大学教授 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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