日本大百科全書(ニッポニカ) 「レオ・アフリカヌス」の意味・わかりやすい解説
レオ・アフリカヌス
れおあふりかぬす
Leo Africanus
(1493―1552ころ)
16世紀初頭にアフリカのスーダン地方を探検した、ムーア人の旅行家。スペインのグラナダでイスラム教徒として生まれ、モロッコのフェズで教育を受けた。1510~13年ごろスーダン地方を旅行し、最盛期のソンガイ帝国の都トンブクトゥやハウサ諸王国、カネム帝国を占拠したブララ王国などを訪問した。1518年にチュニス付近で海賊船に捕らえられローマに連行されたが、ローマ教皇レオ10世によってその業績を認められた。教皇からジオバンニ・レオニという名を与えられたが、一般にはレオ・アフリカヌス(アフリカのレオ)とよばれた。
1526年に見聞録『アフリカの歴史と地誌』が完成し、50年にイタリア語版、1660年に英語版が刊行され、のちに『アフリカ誌』の著名で広く知られるようになった。同書にはニジェール川が東から西へ流れているという誤謬(ごびゅう)もあるが、当時の黒人アフリカの史料として重視されている。
[中村弘光]