レオ9世(読み)レオきゅうせい(英語表記)Leo IX

改訂新版 世界大百科事典 「レオ9世」の意味・わかりやすい解説

レオ[9世]
Leo Ⅸ
生没年:1002-54

ローマ教皇聖人在位1049-54年。アルザス貴族生れで,トゥールに学び,のち同地の司教(1026)。神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世の後援を得て教皇位に就くや,ヒルデブラント(のちの教皇グレゴリウス7世)など有能な人材の協力下で精力的に教会刷新運動を推進し,聖職者の妻帯禁止,聖職売買の禁止などを数次の教会会議で打ち出した。トゥールのベレンガリウスの聖餐論を断罪(1050)したのも彼である。南イタリアでノルマン人と戦って敗れた(1053)。なお彼の在位中に東西両教会は最終的に分離した(1054)。祝日4月19日。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レオ9世」の意味・わかりやすい解説

レオ9世
レオきゅうせい
Leo IX

[生]1002.6.21. アルザス,エギスハイム
[没]1054.4.19. ローマ
教皇 (在位 1049~54) 。聖人。本名 Bruno Graf von Dagsburg。ツールで教育を受け,1026年同地司教。皇帝コンラート2世とハインリヒ3世に仕え,クリュニーの改革を熱心にドイツに導入。 48年ウォルムスの国会で教皇に推され,ローマでの選挙を待って登位。 49年旅をしつつラテラノ,パビア,ランスマインツで教会会議を開き,司祭婚姻,聖職売買を禁じ,50年のベルチェリ教会会議ではツールのベレンガリウスを断罪。 53年南イタリアのノルマンと戦って敗れ,捕えられた。次代をになう優秀な人物を外国から招いて枢機卿団を再興し,改革に貢献した。

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367日誕生日大事典 「レオ9世」の解説

レオ9世

生年月日:1002年6月21日
教皇(在位1049〜54),聖人
1054年没

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