レソト王国(読み)レソト(英語表記)Lesotho

翻訳|Lesotho

デジタル大辞泉 「レソト王国」の意味・読み・例文・類語

レソト(Lesotho)

アフリカ南部の国。正称、レソト王国。立憲君主制。首都マセル南アフリカ共和国に囲まれて高地にあり、牧畜農業が行われる。ダイヤモンド産出。1884年英国の保護領バストランドとなり1966年独立。英連邦一員。面積約3万平方キロメートル。人口208万(2021)。

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旺文社世界史事典 三訂版 「レソト王国」の解説

レソト王国
レソトおうこく
Lesotho

周囲を南アフリカ共和国に囲まれている内陸国。首都マセル
【略史】先住民はブッシュマンだったが,18世紀にバントゥー系のバスト(ソト)人が北方より移住してきて定着,バスト王国を築く。19世紀にはいってズールー人の侵攻を受けたが,王モシュエシュエ1世(1785 (ごろ) 〜1870)のもとに防衛。1835年以降南アフリカのブーア(ボーア)人のグレート−トラック(大移動)により絶えず国境を脅かされたため,43年王国はイギリスの保護下にはいる。1868年正式にイギリス保護領バストランド(Basutoland)が成立,71年イギリス領ケープ植民地に併合される。バスト人の伝統を無視した支配が行われたため,住民の反対が起こり,1884年再びイギリス保護領となる。
【独立とその後】1959年憲法によって自治国となり,またバストランド会議党(BCP)やバストランド国民党(BNP)などの政党が結成された。1964年のロンドンでの制憲会議で独立が認められ,65年の選挙でBNPが勝利してジョナサンが首相となり,66年モシュエシュエ2世を国王とするレソト王国として独立を達成。独立後,政治的実権をめぐり首相と国王の対立が起こり,さらにBNPに批判的なBCPが加わり政治混乱が続く。徐々にBNPと首相ジョナサンの独裁化が進む。いっぽう,対外的には南アフリカ共和国のアパルトヘイトに批判的姿勢を示したため,1985年末に同国から国境封鎖を受ける。そのため,1986年1月軍事クーデタが起こり,ジョナサン政権が崩壊し,親南アのレハンヤ政権が成立。しかし,国王とレハンヤ議長の権力抗争が表面化する中,1991年無血クーデタでレハンヤ議長が失脚。1993年の民政復帰のための総選挙でBCPが圧勝したが,94年今度は国王レツィエ3世が王室クーデタを試みたが,内外の批判を浴びる。その後も政情不安が続き,1998年には総選挙での不正を主張する下級将校らによる反政府抗議行動が続き,首相の要請で南アフリカ軍とボツワナ軍が軍事介入した。

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