レディング(Otis Redding)(読み)れでぃんぐ(英語表記)Otis Redding

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

レディング(Otis Redding)
れでぃんぐ
Otis Redding
(1941―1967)

アメリカのソウル・ミュージックシンガー。ジョージア州西部のドーソンに生まれ、26歳の若さで飛行機事故で没する。不朽のソウル・シンガーとして今も語り継がれる。

 レディングは、ロックン・ロール・スター、リトル・リチャードLittle Richard(1932―2020)に影響されるが、10代のころはまだ味わいの足りない絶叫型のシンガーだった。レディングにチャンスが巡ってくるのは、1962年、彼がジョニー・ジェンキンズJohnny Jenkins(1939―2006)のバックマン兼運転手としてメンフィスのスタックス・レコードにやってきたときだった。ジェンキンズのレコーディングの合い間に、彼は1曲歌わせてほしいと願い出る。それが「ジーズ・アームズ・オブ・マイン」という曲だった。燃え上がる恋の情熱を必死に抑えているようなこのバラードは、1963年、スタックスからシングル盤として発売され、レディングは期待の新人としてデビューすることになった。

 人気シンガーとして活躍したのは4年ほどの短い間だが、多くの名唱を残した。バラードの名作「愛しすぎて」や「この強き愛」をはじめとして、抜群のリズム感とダイナミックな声を聴かせる「アイ・キャント・ターン・ユー・ルース」、彼にとってアイドルであったサム・クックの「シェイク」やローリング・ストーンズの「サティスファクション」のカバーなどである。それぞれ曲のスタイルは違っても、必ずその声にはレディングの優しい人柄がにじみ出ていた。

 ソウル・ミュージックの真意が「人間の魂を歌う」ことであるとするなら、レディングはその代表的シンガーだった。「リズム・アンド・ブルース」はかつて商業用語としてつくられた言葉であるが、「ソウル」は1950年代から1960年代の黒人解放運動において、大衆のなかで自然に生まれてきた言葉である。レディングは社会的なコメントや政治批判など一言も歌にしなかったが、彼の歌声は充分にソウルフルであり黒人の魂を歌っていた。南部を中心としたレディングの評価の高さの理由は、こういう点にあった。

 レディングの作品と歌唱は海を渡り、イギリスのロック・バンドにも注目されていた。その好例がローリング・ストーンズで、彼らはレディングの「この強き愛」や「ペイン・イン・マイ・ハート」をカバーし、ロック・ファンにレディングの名前を知らしめた。また1967年、モンタレー・ポップ・フェスティバルでの彼の圧倒的なボーカルは、フェスティバルの聴衆はもちろん、のちに映像でその姿を見ることになった日本などのファンにも、レディングがソウル・ミュージックの第一人者であることを印象づけた。

 そしてモンタレー出演の半年後、帰らぬ人となる。この突然の死が、レディングをさらに特別な存在にした。残されたのは「ドック・オブ・ザ・ベイ」(1968)という、力強い歌唱を得意としていた彼にとっては初めての静かで沈んだような歌だった。この曲は同年、リズム・アンド・ブルースとポップのヒット・チャートで1位を獲得した。

[藤田 正]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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