ロイヤル・アカデミー(読み)ろいやるあかでみー(英語表記)Royal Academy of Arts

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロイヤル・アカデミー」の意味・わかりやすい解説

ロイヤル・アカデミー
ろいやるあかでみー
Royal Academy of Arts

1768年、本格的な美術学校の開設、年次展覧会の開催、またその収益の芸術家への分配などを通して、イギリス絵画彫刻、建築を育成し、芸術家の地位を向上させることを目的にレノルズらの尽力によって設立された協会。定員は正会員40名、准会員20名(1876年から30名)と決められ、投票によって選出された会長(P・R・A)1名と8名の会員による評議員会が実際の運営にあたった。また1824年にロンドンのナショナル・ギャラリーが創設されるまで、芸術家や学生に昔の巨匠名作の数々に触れる貴重な場を提供し続けた。年次展覧会は1769年からペル・メルで開かれたが、1780年から学校と展覧会場はサマセット・ハウスに移された。現在のバーリントン・ハウスへは1868年から移っている。

[谷田博行]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロイヤル・アカデミー」の意味・わかりやすい解説

ロイヤル・アカデミー
Royal Academy of Arts

イギリス王立美術院。美術学校,美術館の機能をも兼ねる。 1768年国王ジョージ3世によって設立が認証された。創立メンバーは J.レイノルズを初代会長とする 36名。解剖学,建築,絵画,遠近法,幾何学についての美術教育を行い,他方,年次展覧会を開催し,版画,研究資料,図書を収蔵。また会員は,会員の認証を得るとき勅許作品として作品を寄託することになっており,これが今日の美術館の所蔵品の主体となった。アカデミーは最初ポールモール (ペル・メル) に設置され,美術学校と展覧会場はその後トラファルガー広場移り,最終的に 1867年,現在のバーリントン・ハウスにおかれた。

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