ローデシアニヤサランド連邦(読み)ローデシアニヤサランドれんぽう(英語表記)Federation of Rhodesia and Nyasaland

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ローデシア・ニヤサランド連邦 (ローデシアニヤサランドれんぽう)
Federation of Rhodesia and Nyasaland

中央アフリカ連邦Central African Federationともいい,いずれもイギリス領であった南部アフリカの南ローデシア(現,ジンバブウェ)が北ローデシア(現,ザンビア)およびニヤサランド(現,マラウィ)と合体して1953年に成立した。南北ローデシア合体案は,すでに第1次大戦中に南ローデシアの白人入植者によって南アフリカ連邦(現,南アフリカ共和国)への併合を拒否する政治的動機から主張された。第2次大戦後は,北ローデシアの銅鉱業を域内に取り込み,南アフリカ以外からの投資を誘引しようとする経済的理由によって提起され,さらに1948年以降のイギリス本国政府との交渉過程からアフリカ人労働力の豊富なニヤサランドをも加える形で連邦が結成された。白人入植者による人工的国家ともいうべきこの連邦にアフリカ人が強く反発したので,イギリスは人種差別立法をチェックする機関を連邦議会に設けさせることを承認の条件としたが,その機能は実際にはあまり働かなかった。連邦経済は,白人部門に関する限り,カリバ水力発電所やインド洋岸のロレンソ・マルケス(現,マプト)に至る鉄道建設などによっておおいに繁栄したが,その間アフリカ人の生活水準はほとんど向上せず,アフリカ人の民族主義運動と連邦離脱運動のため連邦は63年末に解体した。翌64年北ローデシアとニヤサランドは独立したが,南ローデシアでは1980年のジンバブウェ独立まで白人支配が続いた。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のローデシアニヤサランド連邦の言及

【ザンビア】より

…大恐慌後,銅の生産は著しく伸び,北ローデシア経済の大宗となった。南ローデシアの白人入植者はこの資源に着目し,イギリス領ニヤサランド(現在のマラウィ共和国)のアフリカ人労働力と合わせて3植民地で連邦を結成することを計り,イギリスとアフリカ人の反対を押し切って53年にローデシア・ニヤサランド連邦を結成した。白人の利益を優先する連邦結成にアフリカ人は反対し,H.ヌクンブラがアフリカ人民族会議(ANC)を結成,カウンダも参加した。…

【ジンバブウェ】より

…しかしアフリカ人は人種差別法によって政治参加への道を事実上閉ざされ,また経済的にも従属的な地位におかれ,以後ジンバブウェの独立までこの状態が続くことになった。第2次大戦後,南ローデシアの白人政権は,北ローデシアの銅とニヤサランド(現,マラウィ)の労働力に着目して3植民地の連邦化を推進,53年ローデシア・ニヤサランド連邦を結成した。 60年代に入って,他のアフリカ植民地が次々に独立し,また63年に連邦が解体するに伴い,南ローデシアの白人政権は少数白人支配体制における独立をめざして宗主国イギリスと交渉に入った。…

【マラウィ】より

…これは国内に鉱産物などの資源が必ずしも豊かでなかったことにもよるが,セシル・ローズのイギリス南アフリカ会社の支配権がこの地域にまでなかなか及ばなかったためでもある。その後南ローデシア(現,ジンバブウェ)の白人政府が北ローデシア(現,ザンビア)との合体を計画したとき,イギリス政府はそれにニヤサランドを加えて53年にローデシア・ニヤサランド連邦(通称イギリス領中央アフリカ連邦)を設立した。連邦時代のニヤサランドは,茶のプランテーションなど多少の外貨獲得産業をもっていたが,大部分は南北ローデシアや南アフリカ共和国への出稼労働者からの本国送金によってかろうじて生活を維持していた。…

※「ローデシアニヤサランド連邦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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