ワールブルク研究所(読み)わーるぶるくけんきゅうじょ(英語表記)The Warburg Institute

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワールブルク研究所」の意味・わかりやすい解説

ワールブルク研究所
わーるぶるくけんきゅうじょ
The Warburg Institute

ロンドン大学に附属する美術史研究所。英語読みで「ウォーバーグ研究所」と表記されることも多い。創立者はドイツの美術史家・文化史家であるアビ・ワールブルクAby Warburg(1866―1929)である。ワールブルクはハンブルクのユダヤ系の銀行家の家庭に生まれ、ボン大学およびストラスブール大学で美術史を学んだ。古代文化がそれ以後の諸文化に与えた影響の伝播(でんぱ)と本質を解明することを終生の研究テーマとした彼は、豊富な財力をもとに1886年ごろから関連文献の収集を行い、1908年から私設文庫として研究者に公開していたが、弟子フリッツ・ザクスルFritz Saxl(1890―1948)らの助力により26年5月に正式に研究所をハンブルクに設立した。29年にワールブルクが没するとザクスルが後を継いだが、台頭するナチス・ドイツを逃れて33年12月にロンドンに移転した。44年11月にロンドン大学に統合され、現在に至る。ザクスルのほか、エルンスト・カッシーラー、エルビン・パノフスキー、E・H・ゴンブリッチなど重要な美術史家、哲学者がこの研究所にかかわってきた。現在は四つの主要部門(美術・考古学、文学宗教科学史哲学政治史社会史)に分類された約19万冊の書籍を所蔵している。この分類からも明らかなとおり、その扱う対象は美術史の狭い領域にとどまるものではなく、イメージを介した人類の精神的遺産継承を広く視野に収めたものとなっている。それはまさにワールブルクその人の思想が反映されたものである。

[大谷省吾]

『E・H・ゴンブリッチ著、鈴木杜幾子訳『アビ・ヴァールブルク伝――ある知的生涯』(1986・晶文社)』『松枝到編『ヴァールブルク学派――文化科学の革新』(1998・平凡社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「ワールブルク研究所」の意味・わかりやすい解説

ワールブルク研究所 (ワールブルクけんきゅうじょ)
Warburg Institute

ロンドン大学に所属する研究所で,とりわけルネサンス研究の面で名高い。ドイツの富裕な美術史家A.ワールブルクは,古代美術の伝統についてとくに関心を深め,これについての豊富な蔵書を備えた文庫を1905年ハンブルクにつくった。やがて友人ザクスルF.Saxlを管理責任者として研究所へと発展し(1921),パノフスキーやカッシーラーなどが同研究所に関係するようになって,ルネサンス研究の一大中心とみなされるようになった。しかし当時のナチス政府のユダヤ民族政策のために,同研究所は閉鎖のやむなきに至り,34年蔵書類はすべてロンドン大学に移管された。研究員たちはアメリカに亡命する者が多かったが,研究所の伝統はロンドンでも引き継がれ,44年以後はロンドン大学付属ワールブルク(ウォーバーグ)研究所として活躍を続けている。同研究所からは《ワールブルク研究所紀要》や《中世・ルネサンス研究》などの有名な研究誌をはじめ,すぐれた研究書が数多く出版されており,ワイスR.Weiss,F.A.イェーツゴンブリッチらのすぐれた学者を輩出している。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のワールブルク研究所の言及

【イェーツ】より

…イギリスの歴史家。1924年にロンドン大学を卒業,44年からは同大学付属のワールブルク研究所員となり,新プラトン主義の宇宙観を手掛りにルネサンス精神史の新しい解明を試みた。《ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス学の系譜》(1964)によりルネサンス期魔術(ヘルメス学)の哲学的役割を再検討した後,記憶術と宇宙観の結合をシェークスピアの常打ち劇場だった〈地球座〉の構造にまで探りあてた名著《記憶術》(1966)を刊行,また《薔薇十字啓蒙運動》(1975)では17世紀の科学革命に及ぼした魔術的ユートピズムの影響を明確にした。…

【カッシーラー】より

…第1次大戦によるそれの中断は《自由と形式》(1916)という独自のドイツ精神史研究を生み出し,戦後19年には新設のハンブルク大学哲学科の正教授に迎えられた。美術史研究のために独自の視角から多くの文献を集めたワールブルク文庫(ワールブルク研究所)もあったこのハンブルクで,彼は20年代のすべてを費やして後期の代表作《象徴形式の哲学》3巻(1923‐29)を書き継ぐ。その問題意識は,《実体概念と関数概念》(1910)にまでさかのぼるというが,実際にはやはり第1次大戦による理性信仰の動揺・崩壊を契機として確固たるものとなったとみられる。…

【コートールド】より

…彼はまたアダムの設計になるロンドンの私邸を,20世紀初頭ロンドン大学に貸与し,コートールド美術研究所Courtauld Institute of Artの創設を援助した。さらにワールブルク研究所のハンブルクからロンドンへの移転にも貢献した。この二つの研究所は現在ロンドン大学に統合され,イギリスにおける美術史研究の中心になっている。…

【ワールブルク】より

…ユダヤ系の富裕な銀行家の家に生まれ,生地ハンブルクに美術史の文献を中心とした〈ワールブルク文庫〉を創設。文庫はナチスに追われて1934年ロンドンに移転,ロンドン大学付属ワールブルク研究所となる。彼は,当時全盛の様式批判による美術史に対して,作品の主題的側面が芸術家やパトロンたちにとって重要な意味を有していたことを,主としてイタリア初期ルネサンス美術の研究を通じて主張。…

※「ワールブルク研究所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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