世界大百科事典(旧版)内の一乗(金工)の言及
【後藤祐乗】より
…また分家,分派は14家に及び,これらを脇後藤と称しており,その中では加賀後藤が最も栄え,金沢で製作を続けた。幕末には京の七郎右衛門家に一乗(1791‐1876)が出て,一世の名工として名をあげ,後藤家の掉尾を飾っている。【原田 一敏】。…
【鐔∥鍔】より
…浜野政随・矩随,大森英秀・英満,石黒政常・政美,岩本昆寛,染谷知信,鉄元堂正楽,大月光興,藻柄子宗典らが著名である。幕末には後藤家の掉尾を飾る一乗(1791‐1876)が,原則として鐔を製作しなかった後藤家一門にあって鐔の製作に乗り出し,格調ある作風を展開した。また加納夏雄は対象を写生画風に鉄鐔に表現して独自の作風を樹立した。…
※「一乗(金工)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」