一条鞭法(読み)イチジョウベンポウ(英語表記)Yī tiáo biān fǎ

デジタル大辞泉 「一条鞭法」の意味・読み・例文・類語

いちじょう‐べんぽう〔イチデウベンパフ〕【一条×鞭法】

中国、明代後期から清代初期にかけて行われた賦役ふえき徴収法。別々に割り当てていた賦と役を一つにまとめて銀で徴収し、簡素化と増収を図った。

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精選版 日本国語大辞典 「一条鞭法」の意味・読み・例文・類語

いちじょう‐べんぽう イチデウベンパフ【一条鞭法】

〘名〙 中国、明末から清初の税制。銀流通の一般化を背景に、徭役(ようえき)や田賦などの雑多な税目一括して銀で代納させたもの。中国税制史上、両税法以来の変革で、江南にはじまり全国に普及した。条鞭法。条編。

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改訂新版 世界大百科事典 「一条鞭法」の意味・わかりやすい解説

一条鞭法 (いちじょうべんぽう)
Yī tiáo biān fǎ

中国,明代後期より清初にかけて行われた税法。従来多くの項目に分かれて割り当てられていた租税,力役(徭役ようえき))を銀納化し,各項目を一条にまとめて銀で納入させることにしたのがこの税法である。一条編法と記すのが正しいとされるが,単に条鞭とも一条法と記すこともある。明の税法は本来は土地税として夏税(かぜい)・秋糧を徴し,米,麦などの現物を納入させるのが原則であった。一方,力役は里甲正役と雑役があり,各個人に割り当てられた。その場合これら租税,徭役は各農家の人丁数や土地,財産の所有高によってきめられた三等九則の戸則を基準として課税されたのであるが,税,役それぞれが多くの項目に分かれていたので,徴税規則はすこぶる複雑であった。15世紀半ばになると農民の負担はいっそう増え,雑役は均徭,駅伝,民壮などに分かれ,里甲正役と並んで四差とよばれた。負担の増加とともに,それを逃れるための不正行為も激しくなり,有力地主が負担を逃れ,小農民に過重な負担が加わるという状況が進行した。そこで徴税合理化の方法として租税,力役の銀納化を進めるとともに,課税対象として土地を最も重要視する傾向が強められた。土地所有額を課税の基準とするとともに,税,役の雑多な項目を一本にまとめ,銀に換算して課税する一条鞭法の改革が生みだされたのである。

 この税法は16世紀中ごろから地方的に実施されたが,各地経済発展の状況を反映して,華中が最も早く,ほぼ華南,華北の順で,16世紀末には各地に普及した。しかしその内容には地方と時期によって差があり,(1)力役各項の合併徴収,(2)租税各項の合併徴収,(3)税・役両者各項の合併徴収,と内容により3者に大別され,その合併にも程度の差があった。なかでも役の負担の一部を土地に割り当て土地税(税)と合併して徴収する(3)の型の発展型がしだいに増えたが,これは清代の地丁併徴の先駆をなすものと考えられている。
地丁銀
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「一条鞭法」の意味・わかりやすい解説

一条鞭法
いちじょうべんぽう

中国、明(みん)後期から清(しん)初に行われた税、徭役(ようえき)制度。鞭は編、辺とも記され、一条法、条鞭と略された。税、役各項の複雑多岐にわたる諸内容を1条にまとめて徴収したので、この名称が生じた。明の税は、唐中期以来の両税法により夏税、秋糧を徴収したが、それらは米、麦、生糸、絹などの現物(本色(ほんしき))納入を原則とした。また、徭役は里甲正役と雑役とからなり、実際の労働力の徴用が中心であった。税、徭役は郷村組織である里甲制を通じて収取されたが、税、役各項の負担の軽重に応じて、各戸内人数(人丁(じんてい))、資産の多寡を総合評価した戸則(こそく)(三等九則)によって割当てが行われた。明初は内容も簡単で負担も比較的軽かったが、都城宮殿の造営、文武官員の増加、外征軍費の増額などで税、役の絶対量が増え、とくに永楽帝(在位1402~24)の北京(ペキン)遷都が漕運(そううん)労役を重くし、付加税(加耗(かこう))を増大させたりして、15世紀には税、役ともに項目数も内容も複雑で過重なものとなった。

 明中期には産業が発達して銀が流通し、税、役の銀による代納が普及すると、税、役の諸項内容を銀額で表示し、それぞれを合算して総額を出し、その総額を、検地(丈量(じょうりょう))と検丁(編審(へんしん))によって確認された一州県内の田土と人丁に割り当てる方法が始まった。1530年8月に大学士桂蕚(けいがく)が上申し、同年10月に戸部議案となった改革案は、翌年3月の御史(ぎょし)傅漢臣(ふかんしん)の上言によれば、一条編法とよばれていたが、夏秋両税などの合算銀額が畝(ほ)(面積の単位)ごとに若干両、同じく徭役銀も丁ごとに若干両、畝ごとに若干両とされていた。しかし一条鞭法は、これより順調に進展したのでなく、とくに華北には施行の反対論が強く、その普及は1580~82年の張居正(ちょうきょせい)の行った丈量以後のことであった。

[川勝 守]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「一条鞭法」の意味・わかりやすい解説

一条鞭法
いちじょうべんぽう
Yi-tiao bian-fa; I-t`iao pien-fa

中国,明代後期から清代初めにかけて行われた税制。一条編法とも書かれ,単に条鞭,一条法などとも呼ばれた。従来の農民の負担は,土地保有者である農民の土地税としての田賦と,人頭税としての徭役が主であり,明初の田賦は,唐代末以来の両税法により夏税秋糧の2期に分けた米麦などの現物徴収 (本色) を原則とし,徭役は里甲正役とそれ以外の雑役のみに限られ簡単であった。それが 15世紀なかばから商品流通と貨幣経済の発展により,農業生産物の多様化を生み出し,田賦の銀納化 (折色,金花銀 ) をはじめ,徴税項目の種類を増す結果となり,徭役にあっても里甲,均徭,駅伝,民壮などその内容が複雑化し,また力役の銀納化により,力差,銀差の区別も生れた。その結果,徴税事務の煩雑さに加えて,官民間の不正行為や農民負担の不均衡の現象が著しくなった。そこで税役の貨幣収入の確保と徴税事務の簡素化のために,これまで雑多な項目に分れていた田賦,徭役をそれぞれ一本にまとめて,銀で一括納入させることにした。これが一条鞭法である。この法は全国一律に同時に実施されたものではなく,16世紀後半にまず浙江,次いで江蘇,江西で施行され,やがて華中,華南,華北の順に一般化していった。これは当時の社会経済の発展に対応してとられた政府の改革であり,中国の税制史上,清初の地丁銀制への橋渡しをする大きな税制変革であった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「一条鞭法」の解説

一条鞭法(いちじょうべんぽう)

条鞭とか一条法などともいう。唐末以来の両税法に代わって,明後半から清初にかけて施行された税制。土地を対象とする田賦(でんぷ)や人丁(じんてい)を対象とする徭役(ようえき)などを,一括してで納付させた税法。これまでの個別的割当て徴収を銀による一括徴収に代えて,税徴収の簡素化を図った点に特色がある。16世紀後半,まず江南で実施され,同世紀末までにほぼ全国に普及した。その実施は,明中葉頃から銀の流通を反映して,田賦や徭役を銀で代納し始めていたことと関連が深い。なお一条鞭法の実施により新たに租税台帳として,賦役全書がつくられた。

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百科事典マイペディア 「一条鞭法」の意味・わかりやすい解説

一条鞭法【いちじょうべんぽう】

中国,明末〜清初に施行された税制。条鞭,一条法とも記す。田賦・徭役(ようえき)をはじめ雑多な諸税を個別徴収から銀による一括徴収に改革し税制を簡素化したもの。16世紀後半江南に始まり全国に普及。実施の背景に銀流通の一般化があり,銀による税の代納がすでに行われていた。
→関連項目万暦帝賦役(中国)

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旺文社世界史事典 三訂版 「一条鞭法」の解説

一条鞭法
いちじょうべんぽう

明後期から清初期に行われた税制
日本銀やスペイン銀の大量流入による銀流通の増大を背景として,田賦(土地税)と丁税(人頭税)を一本化して銀納させた税法。明代の16世紀後半から江南地方で実施が始まり,16世紀末には華北まで普及した。この新税法によって,万暦帝時代,一時的に財政が再建された。

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世界大百科事典(旧版)内の一条鞭法の言及

【明】より

…また行政運営に必要な労働を民戸に課する徭役は,田賦とならぶ人民の二大負担であったが,これも中期以降しだいに銀納が拡大した。田賦,徭役の銀納化は,税制の簡素化,徴税の能率化と結びついて,嘉靖(1522‐66)以後,一条鞭法として普及することになり,両税法以来の大きな税制改革となった。
[軍事]
 軍事関係では,明初全軍が大都督府のもとに統率されていたが,1380年(洪武13)中書省廃止の際,大都督府も分割されて前後左右中の五軍都督府となった。…

※「一条鞭法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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