一灯園(読み)イットウエン

デジタル大辞泉 「一灯園」の意味・読み・例文・類語

いっとう‐えん〔‐ヱン〕【一灯園】

明治37年(1904)西田天香が創始した修養団体。また、その道場。京都市山科区にある。信者は絶対平等・無一物・無所有の共同生活を営み、奉仕托鉢を実行する。

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改訂新版 世界大百科事典 「一灯園」の意味・わかりやすい解説

一灯園 (いっとうえん)

京都市山科区にある修練道場。1905年(明治38)西田天香が創始した。天香の〈懺悔の心〉に基づき,〈無所有奉仕〉の生活を行う集団で,自己の内部世間苦悩の責任を体感し,自然にかなった生活をすれば,一物を所有せず,働きを金銭に換えなくても,許されて生きられるとする。本部的機能をもつ光泉林は29年財団法人として認可され,土地約7万坪,建物約70棟,約100世帯が一大家族的生活を実践している。〈おひかり(神・仏・大自然)〉から預かったものとして託された他の財物を運用経営する宣光社を営み,そのほか,学校法人灯影学園(小学校・中学校高等学校・大学林),幼稚園,保育園,図書館,機関誌《光》《光友》その他を刊行する出版部,外部修行者道場の一灯園等の多くの修道的な建物などを設置する。また31年に〈すわらじ劇園〉を創立,園の心を演劇活動で表現し,全国に公演している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「一灯園」の意味・わかりやすい解説

一灯園
いっとうえん

財団法人懺悔奉仕光泉林の通称。西田天香 (1872~1968) が創始した宗教・修養団体。天香は青年時代,事業にかかわる労使対立に悩み,争わずに生きる道を求めて故郷の滋賀県長浜で断食を行い,大悟して下座行と奉仕の生活を始めた。次第に共鳴者が集り,1913年京都鹿ヶ谷に最初の建物が建ち,一灯園と命名された。その後,山科に今日の施設の基礎がおかれた。現在ここでは 3000人ほどの「同人」が共同生活を営み,印刷・出版・建築・農業などに従事するほか,他家の便所掃除を行うことで奉仕の生活を実践。また保育園から大学までの教育施設をもち,さらに宗教の国際交流にも積極的に参加している。

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世界大百科事典(旧版)内の一灯園の言及

【コミューン】より

…主要な担い手はヒッピーであった。 近代日本では,急激な産業化による矛盾が顕著になってきた明治末から大正期にかけて〈一灯園〉〈新しき村〉などの宗教的コミューンが,昭和期の疲弊する農村から〈心境部落〉や〈山岸会〉などの政治的コミューンが,また敗戦の混乱から生まれてくる〈大倭紫陽花邑(おおやまとあじさいむら)〉のような宗教的コミューンが,それぞれの代表例と考えられる。さらに70年前後から心理志向の〈部族〉やヒッピーのコミューンが各地で試みられるとともに,社会変革を明確に志向する〈弥栄之郷(やさかのさと)〉などが現れた。…

【西田天香】より

…開墾事業の監督となったが,資本家と小作人の間の紛争調停に苦しみ,のち数年間懐疑と求道の放浪生活を続けた。1905年長浜愛染堂で断食中,乳児の泣声に無心の境を悟り,同年京都鹿ヶ谷(ししがたに)に〈一灯園〉を開設,懺悔生活を始め,〈おひかり〉による内面的救済を求め,無所有の共同生活をめざした。一灯園はのち京都山科に移り,本部光泉林,諸学校施設などをもち,多数世帯の大家族的生活が実践されている。…

※「一灯園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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