三つの世界論(読み)みっつのせかいろん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三つの世界論」の意味・わかりやすい解説

三つの世界論
みっつのせかいろん

中国共産党の世界構造認識であるが、今日では、中国の内外政策の大きな転換とともに、あまり強調されなくなった。

 三つの世界論は、1974年4月に国連資源特別総会に出席した鄧小平(とうしょうへい)副首相(当時)が提起した。それは、世界を米ソ両超大国からなる第一世界、西欧、日本、カナダ、東欧諸国など工業諸国からなる第二世界、アジア、アフリカラテンアメリカおよび中国、北朝鮮、北ベトナム(当時)などからなる第三世界に分け、第三世界を中心に第二世界と連携して米ソ両超大国に対決すべきだという戦略である。これは、毛沢東(もうたくとう)と中国共産党が1963~64年にかけて、アメリカ帝国主義と社会主義諸国の間の「中間地帯」をアジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国などの第一中間地帯と、西欧諸国、オセアニア、カナダなどの第二中間地帯とに区分した反米民族統一戦線戦略の「修正版」だといえよう。

中嶋嶺雄

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三つの世界論」の意味・わかりやすい解説

三つの世界論
みっつのせかいろん

第三世界論」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の三つの世界論の言及

【第三世界】より

…ただし,〈第三世界〉の内容についてはさまざまあり,欧米ではアメリカ,西欧諸国の先進国を〈第一世界〉,ソ連(現,ロシア),東欧の社会主義移行諸国を〈第二世界〉,そして熱帯,亜熱帯の旧植民地・従属国で第2次世界大戦後独立した国々を〈第三世界〉と呼ぶいい方もある。70年代初めには中国が〈三つの世界論〉を提起した。この議論によれば,ソ連,アメリカの超大国が〈第一世界〉,西ヨーロッパ,日本が第一世界に〈侮られて〉いる〈第二世界〉,そして発展途上諸国が,歴史的に第一・第二世界に支配されてきた〈第三世界〉ということになる。…

【日中国交回復】より

…超党派の議員による友好の動きの積み重ねがあり,LT貿易(1962年11月,中国の廖承志(L)と日本の高碕達之助(T)の間で結ばれた〈日中総合貿易に関する覚書〉にもとづいた貿易)と呼ばれた準政府間的民間協定が成立するなど,日本と中国の関係史の重みが自民党内派閥抗争に作用して,田中内閣に国交回復を決断させたとみられる。日中国交回復は日本にとってはニクソン米大統領の訪中に追随するものであり,中国にとっては毛沢東の〈三つの世界論〉の方針にのっとったものであった。それは従来の欧米一括の世界観を改め,米ソ両超大国と,その支配・干渉下におかれているアジア,アフリカ,ラテン・アメリカの第1中間地帯,ヨーロッパ,日本などの第2中間地帯の三つに世界を区分し,中間地帯諸国は両超大国に対する抵抗を行っているというのが要旨である。…

※「三つの世界論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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