三井高保(読み)みつい・たかやす

朝日日本歴史人物事典 「三井高保」の解説

三井高保

没年:大正11.1.4(1922)
生年嘉永3.5.26(1850.7.5)
明治大正期の実業家三井高福の5男。母は津尾。慶応4(1868)年2月に三井室町家の養子となって家督を相続した。三井銀行設立時には発起人に名を連ねたが,明治13(1890)年に京都博覧会社副頭取,22年に頭取となって京都で勧業に力を尽くした。同20年には益田孝と共に銀行業務視察のために欧米各国を巡遊し,24年には三井銀行総長に就いた。中上川彦次郎を副長に登用して,全権を委ねて銀行の経営改革に当たらせた。その後同社長となって大正9(1920)年までその職にあるとともに,明治42年に三井合名会社が設立されるとその業務執行社員となった。<参考文献>三井文庫編『三井事業史』本編2巻

(賀川隆行)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三井高保」の意味・わかりやすい解説

三井高保
みついたかやす

[生]嘉永3(1850)
[没]1922
実業家。三井総領家8代目八郎右衛門高福の4男。室町家三井高良の養子となり同家 10代目当主となる。 1891年三井高喜に代って三井銀行総長に就任中上川彦次郎を登用し銀行の体質改善を遂行した。以来 1920年までの 30年間三井銀行の総帥としてその発展に努めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三井高保」の解説

三井高保 みつい-たかやす

1850-1922 明治-大正時代の実業家。
嘉永(かえい)3年5月26日生まれ。三井高福(たかよし)の5男。三井室町家10代。明治24年三井銀行総長となり,副長に中上川(なかみがわ)彦次郎を登用して経営改善にあたる。のち同社長として大正9年まで在任表千家流茶人。大正11年1月4日死去。73歳。号は華精。

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