三司(読み)さんし(英語表記)sān sī

精選版 日本国語大辞典 「三司」の意味・読み・例文・類語

さん‐し【三司】

〘名〙
中国漢代、三公、すなわち、太尉・司空・司徒別称
※盍簪録(1723か)「大抵古今三官同事、率称三司、無復定例」 〔後漢書‐順帝紀〕
② 中国唐代の司法機関の尚書刑部・御史台・大理寺の総称
※六如庵詩鈔‐二編(1797)二・嵯峨別業四時雑興三十首「二頃豊慳曾不検、三司拝免総無聞」
④ 中国五代から宋までの時代、国家の財政をつかさどる塩鉄使判戸部度支使(たくしし)の総称。
※参天台五台山記(1072‐73)五「巳時使臣并三司官人来。参五台山沿路盤纏文字。三司官人与老僧文云」
⑤ 日本の、太政大臣・左右大臣のこと。三公。→儀同三司。〔元和本下学集(1617)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「三司」の意味・わかりやすい解説

三司 (さんし)
sān sī

中国の官職。三司とは3種の役所という意味であるから,時代によって指す官職が異なった。(1)三公を三司という。三公とは漢代の中央政府の最高官であった丞相(司徒),太尉,御史大夫(司空)のことで,これを三司と呼ぶことも多かった。三公でないものが三公の礼遇をうけることを,位亜三司,班同三司,儀同三司などと称し,とくに重いものを開府儀同三司と称した。(2)唐代では司法に関する三つの衙門たる刑部,御史台,大理寺を三司と称した。刑部はいわば法務省で,大理寺は最高裁判所,御史台は最高検察庁である。大きな司法事件はこれら3者が会同して決定した。明以後では御史台は都察院となったので,これに刑部と大理寺を合わせて三法司と呼んだ。(3)唐代中期以後,五代をへて北宋にいたる時期には財政を扱う塩鉄,度支戸部を三司と呼んだ。唐は安史の乱以後,府兵制の崩壊などの理由により国家財政が膨張し,それに対応するために設置された,専売事務担当の塩鉄使と,財賦調達と出納を担当した度支使という使職は,戸部曹の長である判戸部とともに天下の財利を分担し,合わせて三司と呼ばれた。五代に入り,これら三司の総責任者を三司使と呼ぶに至り,宋代に継承された。宋代の三司使は,参知政事(副宰相)に次ぐ重要な役目として計相と称されたが,元豊(1078-85)の官制改革のとき廃止され,唐制の尚書六部の一つたる戸部とその四曹が復活した。(4)宋代の禁軍である殿前司と侍衛馬軍司侍衛歩軍司を三司といい,また三衙といった。五代では殿前都点検という禁軍の総司令官がいて,これが天子に推される傾向にあったので,宋の太祖は禁軍の組織を改編し,それぞれに都指揮使などの官職を設け,権力を分散させたのである。(5)明代では行省の布政使司と按察使司と都指揮使司を総称した。布政使司は民政を,按察使司は司法を,都指揮使司は軍政をつかさどった。
執筆者:

高麗から李朝初期に存在した官庁で,国家財政の出納,会計をつかさどった。泰封国(後高句麗)の調位府を高麗の太祖が三司と改称したことに始まり,1014年には都正司に,1356年には尚書省に改編されたが,いずれも数年で旧に復し,高麗の国家財政を掌握した。13世紀末以降,三司の上級官員は政治の門下府,軍事の密直司(のち中枢院)の上級官員とともに合議制政治機関である都評議使司を構成して最高権力を担い,李朝初期にもこの性格を受け継いだ。しかし1401年,官制改革の一環として太宗が三司を司平府と改称し,05年にはそれも戸曹に併合して,財政は国王に直結することになった。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三司」の意味・わかりやすい解説

三司
さんし

中国、五代・宋(そう)初の中央財政機関。唐代から始まった塩などの専売が重大な意義をもつとともに、令外(れいがい)の官である塩鉄使が重要視されてきた。後唐(こうとう)のとき、戸部(こぶ)のなかで租税収入をつかさどる戸部曹(こぶそう)と、支出をつかさどる度支曹(たくしそう)とを独立させ、塩鉄使とあわせて三司と称し、三司使をおいて天子に直属させた。宋初に至って三司はいよいよ重要性を増し、計相と称せられ、宰相執政の次に位するに至った。三司は全国の銭穀を動かすために膨大な組織をもち、労務者化した軍隊を指揮し、部内における人事の進退、賞罰を行った。部内で任命する下級将校に三司軍大将があった。しかし神宗の元豊年間(1078~85)の新官制で三司を解体し、その職務の大部分を戸部に返した。このほかに、漢代の宰相、宋代の禁軍の三長官、明(みん)・清(しん)時代の地方大官をよぶにも三司の名があった。

[宮崎市定]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「三司」の解説

三司(さんし)

五代北宋の中央財政の統轄官庁。唐中期に形式主義の三省六部(りくぶ)制が崩れ,塩鉄使,度支使(たくしし)が出現,戸部(こぶ)を併せ,五代に三司に統合した。北宋の集権制下では財政をつかさどる要職となった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「三司」の解説

三司
さんし

中国,五代・宋の中央財政機関
塩鉄(専売)・度支(支出)・戸部(収入)の総称で,長官は泀使。

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世界大百科事典(旧版)内の三司の言及

【三法司】より

…中国,司法関係の三官庁の併称。唐代では刑部(いわば法務省),御史台(いわば検察庁),大理寺(いわば最高裁判所)を三司と称し,重大事件はこの三司の長官をして会審せしめることとし,これを三司使といった。以後,元を除きおおむねこの制があり,明に及んで御史台を改めて都察院となし,かつ初めて三法司と称した。…

【度支】より

…唐では戸部尚書の下に会計担当の度支曹があって,郎中と員外郎などがおかれた。唐中期以後,財務行政が複雑かつ重要となり,度支曹が独立して度支使が成立し,塩鉄使,判戸部と国家の財政を分担して三司と称された。五代,北宋では三司使に統合されたが,神宗の元豊官制以後,唐初の制に復した。…

【布政使】より

…中国,明・清の地方官。明代,1省内の府州県を統括し,主として中央の戸部に隷属する行政官庁として布政使司があり,按察使司(司法)・都指揮使司(軍事)とならんで三司とよばれた。布政使は布政使司の長官であるが,中期以後しだいに総督巡撫が設けられると,その地位は以前より低くなった。…

【明】より


[地方]
 地方制度では,布政司(布政使)の管轄区域が最大の行政単位で,行省の名を残して省と通称される。布政司が一般民政を担当するほか,省には司法・監察を担当する提刑按察使司,略して按察司と,軍隊を管轄する都指揮使司,略して都司が置かれ,併せて三司とよばれ,重要事項は3者の合議によって決定された。行省時代のような単一の長官は存在しなくなったのである。…

※「三司」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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