三坂峠(読み)ミサカトウゲ

デジタル大辞泉 「三坂峠」の意味・読み・例文・類語

みさか‐とうげ〔‐たうげ〕【三坂峠】

愛媛県中部、松山市上浮穴かみうけな久万くま高原町の境にある峠。標高720メートル。国道33号(土佐街道)の最高点で最大の難所。北側の三坂川(重信川水系)は瀬戸内海に、南側の久万川(仁淀によど水系)は太平洋に注ぎ、その分水嶺となっている。松山平野・瀬戸内海の眺望がよい。冬季、付近はスキー場となる。

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日本歴史地名大系 「三坂峠」の解説

三坂峠
みさかとうげ

[現在地名]久万町東明神

松山市と上浮穴郡との境界にある峠。標高七二〇メートル。東明神ひがしみようじん村の北西端に位置する。松山平野の荏原町えばらまち(現松山市恵原町)から久谷くたに窪野くぼのの谷を登り、最後の集落さくらの標高三〇〇メートルから二キロ余が急峻で、古来土佐道最大の難所とされていた。途中に鍋割なべわりの険という難所もあったが、寛文―延宝(一六六一―八一)の頃久万町くままち村の山田屋彦左衛門(仰西)が改修したと伝えている。この道は四国八十八ヵ所の遍路道でもあり、松山城下との物資交流の唯一のルートであったから荷駄往来も激しく、馬子唄に、

<資料は省略されています>

と歌われた。

峠からは松山平野や瀬戸内海の風光を一望におさめることができる。明治一四年(一八八一)少年正岡子規もここに立って、

<資料は省略されています>

の詩を残している。

三坂峠
みさかとうげ

久世町・湯原ゆばら町・勝山かつやま町の境、標高九〇二・五メートルの三坂山にある大山往来上の峠。十国じつこく峠・十石峠ともよばれ、その由来は峠から四方十州が展望できること、寛政年間(一七八九―一八〇一)に代官早川正紀が、釘貫小川くぎぬきこがわ(現湯原町)の峠番に一〇石の給米を与えたことによるという。目木めき村から砥石といし山・三坂宿を経て釘貫小川村に至る大山往来最大の難所で、正保二年(一六四五)美作国絵図(村松家蔵)にも「是より釘貫小川村迄二里、坂、難所」と記されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「三坂峠」の意味・わかりやすい解説

三坂峠 (みさかとうげ)

〈みさかだお〉ともいう。広島県山県(やまがた)郡北広島町と島根県邑智郡邑南町の旧瑞穂町との境にある峠。標高555m。6km東方を通る国道261号線の峠は中三坂峠という。三坂峠で中国山地脊梁部を越え,山陽側の広島と山陰の浜田を結ぶ浜田街道は,江戸時代には浜田藩の参勤交代路として,明治期には陸軍の広島~浜田連絡路として重視された。現在,道路は整備され峠付近は防雪トンネルで保護されているが,旧瑞穂町側に急傾斜急カーブが続くので,積雪期の峠越えは容易ではない。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三坂峠」の意味・わかりやすい解説

三坂峠
みさかとうげ

広島県北西部,北広島町と島根県邑南町との境,中国山地にある峠。標高 555m。広島県側は比較的緩傾斜大朝盆地へ続き,島根県側は急傾斜をなす。江戸時代は,浜田藩の参勤交代路であった。かつては安芸-石見間を結ぶ街道がこの峠を越えたが,現在は国道 261号線の中三坂トンネルが通る。

三坂峠
みさかとうげ

愛媛県中部,久万高原北端にある峠。国道 33号線 (→土佐街道 ) にあり,標高 720m。北方に松山市街が広がり,眺望にすぐれた行楽地。夏季には松山市から夕方納涼バスが出る。付近には久万スキーランドがあり,冬はスキー場となる。

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