三宅康貞(読み)みやけ やすさだ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三宅康貞」の解説

三宅康貞 みやけ-やすさだ

1544-1615 織豊-江戸時代前期の武将,大名
天文(てんぶん)13年生まれ。三河(愛知県)梅坪城主三宅政貞の長男永禄(えいろく)元年(1558)父とともに徳川家康につかえる。家康の関東入封により武蔵(むさし)瓶尻(みかじり)(埼玉県)で5000石を領し,慶長9年(1604)1万石に加増されて三河挙母(ころも)藩主三宅家第1次初代となった。元和(げんな)元年10月23日死去。72歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の三宅康貞の言及

【三宅氏】より

…江戸時代の譜代大名。1558年(永禄1)政貞・康貞父子はそろって徳川家康に見参し,旧領三河国梅坪を安堵されて徳川氏の家臣となる。康貞はたびたびの軍功によって90年(天正18)武州瓶尻(みかしり)に5000石の領地を与えられ,さらに1604年(慶長9)には三河国挙母(ころも)1万石を領した。19年(元和5)康信のときに,伊勢の亀山に移ったが,36年(寛永13)康盛のときに再び挙母に帰った。さらに康勝のとき64年(寛文4)に三河国田原藩万2000余石に転封となり,以後,代々田原藩主として幕末に至った。…

※「三宅康貞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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