三宅恒方(読み)みやけつねかた

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三宅恒方」の意味・わかりやすい解説

三宅恒方
みやけつねかた
(1880―1921)

昆虫学者。石川県金沢市生まれ。1905年(明治38)東京帝国大学理科大学動物学科を卒業後、大学院で昆虫学を専攻。1907年同大学農科大学助手、1916年(大正5)農商務省農事試験場昆虫部主任となり、また農科大学実科講師を嘱託され、1919年には農学部講師となったが、1921年腸チフスのため41歳の若さで没した。しかし、日本産のシリアゲムシ、ガ、カマキリモドキミバエの研究など、多数の論文を発表し、名著として名高い『昆虫学汎論(はんろん)』上・下、訳書『ふおるそむ氏昆虫学』のほか、『第六感を交えて』『旅と私』などの随筆集を著した。評論家三宅雪嶺(せつれい)の甥(おい)。ともに小説家・評論家のやす子(1890―1932)は夫人、艶子(つやこ)(1912―1994)は長女である。

[中根猛彦]

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朝日日本歴史人物事典 「三宅恒方」の解説

三宅恒方

没年:大正10.2.2(1921)
生年:明治13.5.21(1880)
大正期の昆虫学者,文人。哲学者三宅雪嶺の甥。金沢市生まれ。幼児から昆虫好きで,14歳にして『昆虫図説』を著し評判になる。一高から東京帝大理科大学動物学科に進み,その趣味を専門とし,当時,生物の基礎分野にも力を入れていた同農科大学に職を得た。途中,ドイツなどに留学。大正3(1914)年,シリアゲムシの研究で学位を取得した。昆虫学の分野の名著ともされる『昆虫学汎論』を出版したが,一方各地を講演したり,丁夢閑人という筆名で社会評論を展開した。三宅やす子夫人によれば,漱石の本を愛読していたという。腸チフスで早死したが,死後出版された『新坂町から』『天使の翅』などの随筆集はその文才を証明している。

(鈴木善次)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三宅恒方」の解説

三宅恒方 みやけ-つねかた

1880-1921 明治-大正時代の昆虫学者。
明治13年5月21日生まれ。三宅雪嶺(せつれい)の甥(おい)。大正5年農事試験場昆虫部主任,8年東京帝大農学部講師となった。丁夢閑人の筆名で社会評論もおこなう。妻の三宅やす子,長女の艶子(つやこ)はともに小説家で評論家。大正10年2月2日死去。42歳。石川県出身。東京帝大卒。著作に「昆虫学汎論(はんろん)」など。

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