三島海雲(読み)みしまかいうん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三島海雲」の意味・わかりやすい解説

三島海雲
みしまかいうん
(1878―1974)

カルピス食品工業(現カルピス)の創業者。大阪府で住職長男に生まれる。京都西本願寺文学寮(龍谷(りゅうこく)大学の前身)に学んだのち、仏教大学に進学したが中退、中国で商業や牧畜業に従事。1915年(大正4)に帰国し、モンゴル特産乳飲料の国産化を試みて失敗したが、1917年設立されたラクトー株式会社の取締役、ついで専務取締役就任、自らのアイデアによる乳酸菌飲料カルピスの開発に成功した。同社はその後カルピス製造と改称、1948年(昭和23)には新設のカルピス食品工業へと発展。その間1942年社長となった。また私財を投じて三島海雲記念財団を設立した。

[四宮俊之]

『三島海雲著『私の履歴書』(『私の履歴書 経済人10』所収・1980・日本経済新聞社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三島海雲」の解説

三島海雲 みしま-かいうん

1878-1974 大正-昭和時代の実業家
明治11年7月2日生まれ。35年中国大陸にわたり,大正4年帰国。モンゴルの乳酸菌食品の国産化をこころみて6年ラクトー(現カルピス食品工業)を設立。8年カルピス飲料を開発し,キャッチフレーズ初恋の味」で売り上げをのばした。昭和49年12月28日死去。96歳。大阪出身。西本願寺文学寮(現竜谷大)卒。

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世界大百科事典(旧版)内の三島海雲の言及

【カルピス】より

…カルピス食品工業の登録商標名。同社の創立者三島海雲(かいうん)(1878‐1974)が,モンゴル人の常用する飲料にヒントを得て発明,創製した日本最初の乳酸飲料で,1919年にラクトー(現,カルピス食品工業)から発売。カルピスの名は,カルシウムのカルと梵語のサルピス(仏教の五味(ごみ)の熟酥(じゆくそ)の意)のピスをとったものである。…

【乳酸飲料】より

…ふつう脱脂乳または脱脂粉乳を還元した乳に,乳酸菌や酵母を加えて乳酸発酵させ,これに砂糖や香料を加えてつくる。モンゴルの乳飲料にヒントを得て,三島海雲(カルピス食品工業の創立者)が創製した日本独特の飲料で,外国ではほとんど見られないが,日本では著しく普及している。製品には殺菌して無菌化したものと生菌のままのものとがあり,前者の代表がカルピス,後者の代表がヤクルトである。…

※「三島海雲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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