三条実躬(読み)さんじょう・さねみ

朝日日本歴史人物事典 「三条実躬」の解説

三条実躬

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:文永1(1264)
鎌倉後期の公卿。父は権大納言公貫。母は中納言吉田為経の娘。文永2(1265)年叙爵。近衛少将,中将を経て永仁3(1295)年に蔵人頭。3年後に参議に任じ,公卿に列する。嘉元1(1303)年,従二位,権中納言。2年後官を辞し散官となる。延慶2(1309)年正二位に昇る。翌年按察使に任ず。正和5(1316)年民部卿を兼ね,また権大納言に任じられる。2カ月余りで同職を辞任し,翌年出家。法名を実円といった。日記『実躬卿記』があり,蔵人頭のときのことが書かれており,史料価値は高い。

(本郷和人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の三条実躬の言及

【実躬卿記】より

…鎌倉末期の公卿三条実躬の私的日記。現在知られているのは1283年(弘安6)より1307年(徳治2)まで。…

※「三条実躬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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