三池藩(読み)みいけはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「三池藩」の意味・わかりやすい解説

三池藩
みいけはん

筑後(ちくご)国三池福岡県大牟田(おおむた)市)周辺を領有した外様(とざま)藩。柳河(やながわ)支藩。戦国期、筑前岩屋(太宰府(だざいふ)市)に居城した一万田(いちまだ)(高橋)直次(なおつぐ)は、1587年(天正15)豊臣(とよとみ)秀吉から筑後国三池郡に領知を配分された。のち姓を立花(たちばな)と改め、1614年(慶長19)には常陸(ひたち)国筑波(つくば)郡内に5000石をあてがわれた。1621年(元和7)その子種次(たねつぐ)は5000石を加増され、旧領三池郡内の1万石をもって三池藩が成立した。1805年(文化2)種善(たねよし)のとき、父種周(たねちか)が若年寄在職中に幕府の機密を漏らしたかどで、陸奥(むつ)国伊達(だて)郡下手渡(しもてど)(福島県伊達市)1万石に移され、三池藩は廃藩となった。1850年(嘉永3)下手渡藩主種恭(たねゆき)は、領知替により旧領筑後郡内に5000石を得、68年(明治1)に至り戊辰(ぼしん)戦争で居所が焼けたのを機に三池に居所を移築したため、ふたたび三池藩が成立した。廃藩置県により三池県、三潴(みずま)県を経て福岡県に編入された。

長野 暹]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三池藩」の意味・わかりやすい解説

三池藩
みいけはん

江戸時代筑後国 (福岡県) 三池地方を領有した藩。元和7 (1621) 年に立花氏が同国柳川藩立花氏の分家として1万石で入封したのに始る。文化3 (1806) ~明治1 (68) 年は陸奥下手渡 (しもてど。福島県) に移り天領となるが,再び立花氏が入封して廃藩置県にいたった。外様,江戸城柳間詰。 (→下手渡藩 )

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デジタル大辞泉プラス 「三池藩」の解説

三池藩

筑後国、三池(現:福岡県大牟田市)周辺を領有した外様の小藩柳河藩(柳川藩)の支藩で、藩主は立花氏。領内生山炭鉱を有した。

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世界大百科事典(旧版)内の三池藩の言及

【筑後国】より

…田中氏断絶後は丹波国福知山の有馬豊氏が北部8郡21万石を与えられて久留米に入り(久留米藩),一方,陸奥棚倉にいた立花宗茂が南部2郡11万石を得て柳河に再入部した。21年宗茂の甥の立花種次が三池郡の内に1万石を分与されて三池藩を立て,68年(寛文8)には有馬豊範が御原郡に松崎支藩を立てた(1万石,84年に廃止)。なお三池藩は1806年(文化3)に幕府に収公され,藩主立花種善は陸奥下手渡(しもてど)に移封されたが,68年(明治1)に旧地に復した。…

【福岡[県]】より

…江戸時代末期,筑前には福岡藩と支藩の秋月藩,筑後には久留米藩柳河藩,豊前には小倉藩(1866年長州征伐の際,藩庁を移し香春(かわら)藩,69年豊津藩と改称)と支藩の小倉新田藩(1869年千束(ちづか)藩と改称)が置かれ,そのほか飛地,天領,預地もあった。1868年(明治1)下手渡(しもてど)藩が陸奥より筑後に移されて三池藩となり,翌69年には1867年(慶応3)以来長州藩の支配下にあった旧小倉藩領の豊前国企救(きく)郡と旧天領が日田県の,預地は長崎県の管轄となった。71年廃藩置県を経て,同年筑前は福岡県に,筑後は三潴(みづま)県に,豊前は中津県も併せて小倉県に統合・整理された。…

※「三池藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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