三郷市(読み)ミサトシ

デジタル大辞泉 「三郷市」の意味・読み・例文・類語

みさと‐し【三郷市】

三郷

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日本歴史地名大系 「三郷市」の解説

三郷市
みさとし

面積:三〇・一五平方キロ(境界未定)

県の南東端に位置し、市域は南北に長い。北は北葛飾郡吉川よしかわ町、西は八潮市、南は東京都葛飾区、東は千葉県流山市・松戸市に接する。西境を中川、東境を江戸川が流れ、南の境には水元みずもと公園(旧小合溜井)がある。河川沿いなどに発達した自然堤防が微高地となっている以外は大部分が低地帯。集落は自然堤防上の微高地を中心に展開していたが、近年では内部の低地にも住宅や団地が増加している。市名は、昭和三一年(一九五六)成立の三郷村東和とうわ村・彦成ひこなり村・早稲田わせだ村の三ヵ村の合併からなることから三ヵ村の三と、かつて市域が属していた二郷半にごうはん領の郷をとって名付けられ、その村名を継承している。市域は古代・中世には下総国葛飾郡に属し、江戸時代初期からは武蔵国葛飾郡に属した。

〔原始・古代〕

蛇行する中川左岸に発達する自然堤防上に遺跡が所在するとの想定により、昭和六二年と六三年に分布調査が行われ、五四ヵ所で遺物の散布が確認された。しかし中世までさかのぼると考えられる若干の遺物を除くと、多くは近世以降の遺物であった。彦江ひこえでは縄文時代前期の土器片が採集されたが、遺構は確認されていない。ほかに上彦名かみひこな番匠免ばんしようめんさきの各地区で試掘が行われ、表土層で近世・近代、まれに古代・中世の陶磁器片が採集されたが、それより下層には無遺物に近い堆積層が続いていることが確認された。大正一四年(一九二五)の江戸川の流路改修工事の際、田中新田たなかしんでんで出土したと伝える縄文時代早期・中期・後期の土器片と古墳時代の円筒埴輪が市に保管されているが、出土地点は現在江戸川の堤防下で、正確な位置の確認はできない。「和名抄」に記載される下総国葛飾郡八郷のうち度毛とけ郷を戸ヶ崎・高州たかす余戸あまるべ郷を高州付近に比定する説があるが、確証はない。また「万葉集」巻一四の「鳰鳥の葛飾早稲を饗すともその愛しきを外に立てめやも」の早稲を丹後たんごの地に比定する説があるが、早稲は早稲の採れる地の意で、固有の地名と解釈するには無理がある。下総国井上駅(「続日本紀」神護景雲二年三月一日条)を市域内に比定する説がある。

〔中世〕

市域は下総国の下河辺しもこうべ庄または風早かざはや庄に属していた。下河辺庄は平安末期に下河辺氏から鳥羽天皇第三皇女の八条院子内親王へ寄進されて成立した。同庄は鎌倉時代中期には金沢氏領となるなど変遷を重ね、室町期には同庄彦名関が鎌倉鶴岡八幡宮領となっている。庄域は当市域を南西端とする中川左岸流域一帯の広大な地域にわたり、新方にいがた下方しもかた野方のかたに分れ、市域は下方に含まれていた(北葛飾郡の→下河辺庄

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三郷市」の意味・わかりやすい解説

三郷〔市〕
みさと

埼玉県南東端,中川江戸川にはさまれた沖積低地にある市。 1956年東和 (とうわ) ,早稲田,彦成 (ひこなり) の3村が合体して三郷村となり,64年町制。さらに 72年市制。江戸時代から早場米の産地として知られ,米のほか,コマツナなどの野菜を産し,東京市場に出荷している。第2次世界大戦後は繊維などの工場が進出。 1960年代後半から東京の近郊都市として,JR武蔵野線沿線に大規模な三郷団地が建設され,宅地化が進んだ。常磐自動車道,首都高速6号三郷線,東京外環自動車道,国道 298号線が交差する交通の要所となり,三郷インターチェンジの設置などで都市化が進んでいる。市域中央に東京都水道局三郷浄水場がある。面積 30.13km2(境界未定)。人口 14万2145(2020)。

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