上原真佐喜 (うえはらまさき)
山田流箏曲家元名。現在2世まであり,真磨琴会(ままごとかい)を組織。(1)初世(1869-1933・明治2-昭和8) 東京出身。本名幸太郎。盲人。千代田検校の女弟子,浅井千束(ちづか)に入門後,奥村真砂(真佐古とも。1841-91)に師事,その後継者となる。奥村は江戸生田流の系統の人で,その筋の山田流への転換の事情は不詳。山木派や中能島の系統とも交流し,歌物を得意とした。作品に《里の四季》《春の朝(あした)》などがある。(2)2世(1903-96・明治36-平成8)東京出身。初世の娘。林家の養女となり,本名林兎喜子(ときこ)。父に師事し,没後2世を継ぐ。浄瑠璃物を正しく伝承し,三味線の名演でも知られる。作品に《竹林の七賢》《香具山にのぼりて》など十数曲ある。1970年に重要無形文化財保持者に認定され,80年芸術院賞受賞。
執筆者:久保田 敏子
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上原真佐喜
うえはらまさき
山田流箏曲(そうきょく)家の家元名。現在2世を数えるが、初世の師の奥村真佐古(まさこ)(1841―91)からでは3世となる。
[平山けい子]
(1869―1933)本名幸太郎。3歳で失明。9歳のころ山田流の千代田検校(けんぎょう)の女弟子浅井千束(ちづか)に入門。21歳で奥村真佐古に師事。『春の朝(あした)』『里の四季』などを作曲。
[平山けい子]
(1903―96)本名林兎喜子(ときこ)。初世の娘。父没後、2代目を継承。山田流浄瑠璃物(じょうるりもの)の正しい伝承を伝える。1970年(昭和45)重要無形文化財保持者に認定され、83年芸術院会員となる。作曲作品に『隆達(りゅうたつ)くづし』『竹林(ちくりん)の七賢』など十数曲がある。
[平山けい子]
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上原真佐喜【うえはらまさき】
山田流箏曲家。2世。初世上原真佐喜の娘。林家の養女となったため,本名は林兎喜子。父に師事したほか,2世稀音家浄観に長唄を,山彦秀子に河東節を,菅野のぶに一中節を学んだ。1933年2世襲名。古典演奏に定評があり,とくに浄瑠璃物を得意とした。一方で《道成寺黒髪供養》《雪月花》など,山田流の伝統を現代に生かした創作曲も数多い。晩年は山田流箏曲界の長老として,箏曲の伝承・普及に尽力。1970年人間国宝。1983年芸術院会員。
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