上淀廃寺(読み)かみよどはいじ

日本歴史地名大系 「上淀廃寺」の解説

上淀廃寺
かみよどはいじ

[現在地名]淀江町福岡 桜田

福岡ふくおか集落の北東一〇〇メートル、北西へ延びる丘陵の南斜面に位置する。古くから棚田となっていた水田から古瓦・礎石などが発見され、古代寺院跡と推定されていた。平成三年(一九九一)二月から史跡公園化計画策定のため、伽藍配置などの確認調査が実施されている。平成三年度までの調査の結果、塔跡・金堂跡の遺構と配置が確認され、法起寺式の伽藍配置をもつ白鳳期創建の寺院跡と判明した。平安中期頃伽藍が焼失し、廃寺となったと考えられている。中門・回廊講堂などは未調査で全容はつかめていない。発掘された塔跡・金堂跡とも瓦積み基壇で、塔は一辺一〇メートル四方、金堂は南北一二・四メートル、東西一四・八メートルで、地方寺院跡のなかでも比較的小規模な建物である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「上淀廃寺」の意味・わかりやすい解説

上淀廃寺
かみよどはいじ

鳥取県米子(よなご)市淀江町福岡(よどえちょうふくおか)にある古代寺院跡。1991年(平成3)から始まった史跡公園として整備するための発掘調査で、伽藍(がらん)のようすが判明した。西へ延びる丘陵の南斜面を利用して建立されている。西側に金堂、東側に南北1列に建てられた3基の塔、南側の中門と伽藍を取り囲む回廊、金堂の南に講堂、塔の北側に多数の掘立て柱建物や柵が発掘されている。今後の調査で、1寺院の中枢建物と付属建物の全体像が把握できる稀有(けう)な例となるであろう。1996年に「上淀廃寺跡」として国の史跡に指定された。

 上淀廃寺を特色づける3塔1金堂の配置は「上淀廃寺式」とよぶべき他に例のない伽藍配置である。南・中塔は瓦積(かわらづみ)化粧の基壇をもつが、北塔には基壇がみられず、計画倒れ土石流で早く基壇を削平されたかのいずれかと考えられた。3塔の塔心礎はともに柱穴を穿(うが)つが、中塔はさらにその中心に有蓋舎利孔(ゆうがいしゃりこう)をつくっている。相互の建物が接し合いすぎることと相まって注目されている。

 塔、金堂からは多数の塑像が発見されている。金堂では本尊・脇侍(わきじ)・四天王像をはじめ多数の塑像があり、本来の金堂の像以外、他の建物の像が持ち込まれている可能性が検討されている。塔では塔本塑像(とうほんそぞう)とよぶべき小像群が発掘されている。一方、金堂の壁面には壁画が描かれていたようで多量の壁画片が発見され、法隆寺金堂壁画とならぶ重要な資料となった。尊像の周囲に自然の添景物を配した変相図と考えられる壁画や、飛天を大きく描いた壁画が復原されている。また、丸瓦に「癸未(みずのとひつじ)年」(西暦683年)と刻書されたものがあり、寺の創建年代がおさえられた。本寺は10世紀中葉、焼亡したものと考えられている。

 3塔1金堂の類例のない伽藍配置、堂内塑像、堂内壁画の判明する寺として、また、建立・廃絶時期のわかる寺として、その資料価値はきわめて高いものがある。法隆寺壁画とならぶ壁画片は、現在、画題、画材、色彩、彩色技術の復原が進む一方、その永久保存へ向けての保存処理作業が進展している。

水野正好

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上淀廃寺」の意味・わかりやすい解説

上淀廃寺
かみよどはいじ

鳥取県米子市にある白鳳時代の寺院跡。壁画の断片が出土したことで大きな話題となった。 1991年から淀江町教育委員会 (2005年からは米子市教育委員会) が史跡公園とするため調査を進めているが,金堂と塔の跡が確認され,法起寺式の伽藍配置と推測されている。壁画の断片は金堂の基壇の近くから 1000点以上発見され,全体像の復元が考えられている。さらにその後の調査から菩薩,四天王などの塑像片も発見され,白鳳時代における仏教文化の伝播問題についての貴重な資料となっている。

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