上田城(読み)ウエダジョウ

デジタル大辞泉 「上田城」の意味・読み・例文・類語

うえだ‐じょう〔うへだジヤウ〕【上田城】

上田市にある旧上田藩の城。天正11年(1583)から同13年にかけて真田昌幸さなだまさゆきが築城。二度の徳川軍との戦いののちに破壊。元和8年(1622)仙石忠政せんごくただまさが入封して再建。3基のやぐらが現存。尼ヶ淵城。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「上田城」の意味・読み・例文・類語

うえだ‐じょう うへだジャウ【上田城】

長野県上田市にあった城。天正一一年(一五八三真田昌幸が千曲川に臨む尼ケ淵に築城。寛永三年(一六二六仙石忠政修築。宝永三年(一七〇六松平忠周が五万三〇〇〇石ではいり、明治維新に至る。櫓(やぐら)三基、堀、石垣などが現存。国史跡。伊勢崎城。尼ケ淵城。真田城

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本歴史地名大系 「上田城」の解説

上田城
うえだじよう

[現在地名]上田市大手町

上田城下の西、千曲川の断崖上にある。東北部一帯は更に一段高く、染谷台そめやだいと称される。城南の千曲川がつくる深淵尼が淵あまがふちにちなみ「尼が淵城」あるいは「海士淵」ともいう(上杉年譜)。真田氏のそれまでの根拠地、松尾まつお(現小県郡真田町)の名をとり松尾城ともいわれた。天正一一年(一五八三)真田昌幸が築城に着手、翌一二年にほぼ完成したとみられる。染谷台からの落ち水による氾濫を避けるため、この方面の堰を改修して北部を西流する矢出沢やでさわ川にその湛水を切って落し、更に矢出沢川の流路をはるか西北に迂回させ城の外堀とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本の城がわかる事典 「上田城」の解説

うえだじょう【上田城】

長野県上田市にあった平城(ひらじろ)。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。安土桃山時代の真田氏の居城で、江戸時代には上田藩の藩庁が置かれた。1583年(天正11)に、甲斐武田氏旧臣の真田昌幸が築いた。徳川氏は、1585年(天正13)と1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いの直前の2度にわたり同城を攻めたが撃退された。この戦いは第一次および第二次上田合戦と呼ばれる。関ヶ原の戦い後、真田昌幸と次男の信繁(真田幸村)は西軍に与したため死罪を命じられたが、本多忠勝らの嘆願で高野山に、のちに九度山に流罪となり、上田城は徳川氏により破壊された。関ヶ原の戦いで東軍に与した昌幸長男の真田信之(信幸)が上田藩主となり、三の丸跡に陣屋を構えた。その後、真田氏が信濃国松代に転封すると仙石氏が入城し、破却された上田城を現在残る姿に再建した。本丸の煤と柿渋で防水した黒い下見板張を用いた3棟の櫓(やぐら)(南櫓、北櫓、西櫓)などは、仙石氏の時代に整備されたものである。仙石氏3代の後、松平氏が入城して明治維新を迎えたが、城の遺構の破却と移築が進み、城内には石垣と櫓1棟だけが残る状態になった。昭和に入り、移築されていた櫓2棟が本丸の元の位置に復元され、さらに平成に入って櫓門や塀などが復元された。現在、旧二の丸が上田城跡公園として整備されている。本丸跡には、明治に建立された歴代城主を祀る松平神社(真田神社とも呼ばれる)がある。藩主居館のあった三の丸跡は上田高校の敷地となっており、ここには松平氏時代の屋敷門と堀が残されている。JR長野新幹線・しなの鉄道・上田電鉄別所線上田駅から徒歩約12分。◇尼ヶ淵城、真田城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「上田城」の意味・わかりやすい解説

上田城
うえだじょう

戦国期から江戸期の城。長野県上田市二の丸にある。平城(ひらじろ)。別称尼ヶ淵城。真田昌幸(さなだまさゆき)・幸村(ゆきむら)(正しくは信繁(のぶしげ))父子が、二度にわたる徳川方の大軍を撃退した城として有名である。1583年(天正11)から85年にかけて真田昌幸によって築かれ、完成直後徳川軍の猛攻を受けたが、これを迎え撃ち、さらに1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いの際も徳川秀忠(ひでただ)の攻撃を跳ね返し、秀忠を釘(くぎ)づけにしている。のち、徳川方に属していた昌幸の長子信之(のぶゆき)が入城したが、1622年(元和8)松代(まつしろ)に移封され、かわって仙石忠政(せんごくただまさ)が小諸(こもろ)より入り、さらに1706年(宝永3)松平忠周(ただちか)が入り、以後松平氏が幕末まで7代続いた。現在、仙石氏時代に築かれた櫓(やぐら)が3基(南櫓、北櫓、西櫓)残る。

[小和田哲男]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「上田城」の解説

うえだじょう【上田城】

長野の日本酒。キレのある本醸造酒と辛口の普通酒がある。原料米は一般米。仕込み水は菅平水系の伏流水。蔵元の「岡崎酒造」は寛文5年(1665)創業。所在地は上田市中央。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

事典・日本の観光資源 「上田城」の解説

上田城

(長野県上田市)
日本100名城」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の上田城の言及

【徳川秀忠】より

…94年再び秀吉の意志により浅井長政の三女江与(えよ)(於江(おごう),逵子(みちこ)とも,法号崇源院)と結婚,97年(慶長2)長女千姫をもうけ,翌年秀吉の死に先立ち秀吉の子秀頼と千姫の婚約が成立,秀忠の政治的地位は重みを増した。1600年関ヶ原の戦に東山道を西上したが,信州上田城の真田昌幸に遮られて決戦にまにあわず,家康の叱責を受けた。03年家康が征夷大将軍となり,千姫が入輿,秀忠は正二位内大臣。…

※「上田城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android