上野益三(読み)うえのますぞう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「上野益三」の意味・わかりやすい解説

上野益三
うえのますぞう
(1900―1989)

陸水生物学者。大阪府に生まれる。1926年(大正15)京都帝国大学理学部動物学科卒業。その後、1953年(昭和28)に教授として京都大学教養部に転出するまで、同理学部附属大津臨湖実験所に在職所長を務める。淡水産節足動物の鰓脚(さいきゃく)類、端脚類、ムカシエビ類や、カワゲラ類カゲロウ類幼虫の分類学的研究、東アジアの陸水の浮遊生物相などの研究ならびにその生物地理学的研究で、多くの業績をあげる。研究論文および科学史などの報文が約450編のほか、著書も多く、『陸水生物学概論』(1935)は、陸水と陸水生物について群集生態学的観点からの解説書として先駆的意義をもつ。また、科学史についての造詣(ぞうけい)も深く、『日本博物学史』(1973)などがある。

[原田英司]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上野益三」の解説

上野益三 うえの-ますぞう

1900-1989 昭和時代の生物学者。
明治33年2月26日生まれ。昭和18年京都帝大理学部付属大津臨湖実験所所長。28年京大教授。陸水生物の生物地理学的研究,日本の生物学史の研究で知られる。平成元年6月17日死去。89歳。大阪出身。京都帝大卒。著作に「陸水生物学概論」「日本博物学史」など。

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世界大百科事典(旧版)内の上野益三の言及

【ケービング】より

… 組織化,目的化された探検としてのケービングが始まったのは19世紀半ば以降であるが,その確立は20世紀に入ってからのことであり,世界的なケービング組織であるアメリカ合衆国のNational Speleological Societyは1941年に設立されている。日本におけるケービングの普及・発展は50年代からで,上野益三や山内浩らによる洞窟地下水研究会や四国ケービングクラブなどの組織活動のほか,ケービングの百科事典ともいえる《British Caving》(1953)の影響が大きい。現在,日本のケービング人口は1000人に満たないが,日本ケイビング協会(1959設立),日本洞窟学会(1975設立),日本洞窟協会(1978設立)を中心として活動が続けられ,新洞窟の発見や海外への調査・探検活動も活発に行われている。…

※「上野益三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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