下北山村(読み)しもきたやまむら

日本歴史地名大系 「下北山村」の解説

下北山村
しもきたやまむら

面積:一三五・八八平方キロ

郡の南東端を占める。西は十津川村、北から東は上北山村に接し、南は和歌山県に境する。西境には大峰山脈南部の山々がそびえ、北から孔雀くじやく(一七七九メートル)釈迦しやかヶ岳(一七九九・六メートル)大日だいにち(一五九三メートル)天狗てんぐ(一五三六・八メートル)地蔵じぞう(一四五五メートル)涅槃ねはん(一三七五・九メートル)行仙ぎようせん(一二二六・九メートル)笠捨かさすて(一三五二・三メートル)茶臼ちやうす(一一八〇・七メートル、和歌山県境ともなる)が連なる。北境には小峠ことうげ(一〇九九・一メートル)がある。

下北山村
しもきたやまむら

[現在地名]大江町本郷ほんごう

月布つきぬの川下流にある河岸段丘と北側の丘陵からなり、集落は丘陵端に東西方向に位置する。東は小漆川こうるしがわ村、北東市野沢いちのさわ村、西は上北山村。最上氏領から元和八年(一六二二)左沢藩領となり、寛永八年(一六三一)幕府領庄内藩預地、翌九年庄内藩領、慶安二年(一六四九)松山藩領となる。天明五年(一七八五)から三年間幕府領で、同八年再び松山藩領となり幕末に至る。寛永検地では高一六八石余(最上記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「下北山村」の意味・わかりやすい解説

下北山〔村〕
しもきたやま

奈良県南東部にある村。村名は紀州本領の北にあることから北山と称され,江戸時代に北山下組と呼ばれたことに由来する。村域の大部分山林で林業を主とする。 1964年吉野熊野特定地域総合開発の一環として建造された大規模な揚水式,アーチ式の池原ダムや七色ダムがある。河跡湖明神池池神社の神体。村域の大部分が吉野熊野国立公園に属する。国道 425号線と 169号線の交差点。面積 133.39km2人口 753(2020)。

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