下山順一郎(読み)しもやまじゅんいちろう

精選版 日本国語大辞典 「下山順一郎」の意味・読み・例文・類語

しもやま‐じゅんいちろう【下山順一郎】

薬化学者。薬学博士尾張出身。東京大学製薬学科卒。製薬学研究のため、渡独。帰朝後、東京帝大医科大学教授。後にフィラデルフィア薬科大学名誉教授に推された。日本の薬化学の先駆者として薬学界に貢献嘉永六~明治四五年(一八五三‐一九一二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「下山順一郎」の意味・わかりやすい解説

下山順一郎
しもやまじゅんいちろう
(1853―1912)

明治の薬学者。薬学博士第一号。愛知県犬山の出身。1873年(明治6)創設された東京大学製薬学科(現、薬学部)に入学、柴田承桂(しばたしょうけい)に師事。日本薬学会創立委員。母校助教授となり、1883年ストラスブール大学でフリュッキゲルFriedrich A. Flükiger(1828―1894)に師事し、糯米(もちごめ)でんぷんの研究でドクトルを取得した。1887年帝大教授となり、生薬(しょうやく)学の基礎を確立した。フィラデルフィア薬科大学名誉教授、ロシア国立博物館名誉会員に推薦された。日本薬学会初代副会頭、日本薬局方主査委員などを務めた。

 一方、台湾総督府委嘱で特産樟脳油(しょうのうゆ)、茶の製薬工業を開発し、また私財を投じて東京の赤羽に研究者向けの大規模な薬園を開設するなど官私の薬学教育発展に力を尽くした。明治45年東大教授在職中急逝。著書に『製薬化学』3巻(1889)、『生薬学』(1889)、『薬用植物学』2巻(1890)、『日本薬局方註解(ちゅうかい)』(1891)ほかがある。

[根本曽代子]

『根本曽代子著『日本の薬学――東京大学薬学部前史』(1981・南山堂)』


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朝日日本歴史人物事典 「下山順一郎」の解説

下山順一郎

没年:明治45.2.12(1912)
生年:嘉永6.2.18(1853.3.27)
明治時代の薬学者。尾張犬山藩(犬山市)藩士下山健治の長男同藩貢進生として大学南校に入学。ドイツ語科で学び,明治6(1873)年第一大学区医学校(東大医学部)製薬学科に転学。同11年第1回生として首席で卒業,同科助教授兼陸軍薬剤官となり,同16年ドイツ留学。帰国後は帝大教授として生薬学講座を開設し,在職は28年におよんだ。東京薬学会(日本薬学会)副会頭,日本薬剤師会初代会長,私立薬学校(東京薬大)初代校長などを歴任。著訳書のうち『生薬学』『薬用植物学』は全国の薬学校で長く教科書として使われた。<参考文献>『中外医事新報』769号

(宗田一)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下山順一郎」の解説

下山順一郎 しもやま-じゅんいちろう

1853-1912 明治時代の薬学者。
嘉永(かえい)6年2月18日生まれ。ドイツに留学後,明治20年帝国大学教授。生薬学の基礎を確立し,薬学博士第1号となる。東京赤羽に私設の薬草園を設立。日本薬剤師会初代会長,日本薬学会副会頭などをつとめた。明治45年2月12日死去。60歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。東京大学卒。著作に「生薬学」「薬用植物学」など。

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