下毛野公助(読み)しもつけぬのきみすけ

朝日日本歴史人物事典 「下毛野公助」の解説

下毛野公助

生年生没年不詳
平安中期の近衛官人。敦行の子。寛弘5(1008)年右近将曹。父も馬芸に秀でていたが,騎射名手として知られた。もっとも『今昔物語』には,右近の馬場での騎射ですべての的をはずし,その失態に怒った敦行に殴られるということがあったが,これは老いた父が倒れたら大変だからと逃げずに殴られたもので,これを聞いたときの関白(じつは内覧)藤原道長は「ありがたき者の心なりけり」と感動し,以後覚えめでたくなったとある。これが『古事談』では秦武則,公助父子の話に仕立てられており,同時代に摂関家の随身として仕えた秦武則と混同したものであろう。『今昔物語』には,同僚の茨田重方らと伏見稲荷詣でに出かけた話が収められている。

(村井康彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下毛野公助」の解説

下毛野公助 しもつけのの-きんすけ

?-? 平安時代中期の官吏
下毛野敦行(あつゆき)の子。右近府生(ふしょう),右近将曹をへて,寛弘(かんこう)9年(1012)には右近将監(しょうげん)とみえる。騎射の上手として知られる。「今昔物語集」に右近の馬場での騎射競技に失敗し,おこった父の鞭(むち)を甘受して孝心をしめしたという逸話がある。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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