不戦条約(読み)フセンジョウヤク

デジタル大辞泉 「不戦条約」の意味・読み・例文・類語

ふせん‐じょうやく〔‐デウヤク〕【不戦条約】

アメリカの国務長官ケロッグフランスの外相ブリアンの提唱により、1928年8月、パリ調印された戦争放棄に関する条約。日・米・英・仏などの原加盟国15か国が調印し、その後63か国が参加した。ケロッグ‐ブリアン条約。パリ不戦条約

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精選版 日本国語大辞典 「不戦条約」の意味・読み・例文・類語

ふせん‐じょうやく ‥デウヤク【不戦条約】

一九二八年(昭和三)パリで調印された戦争放棄に関する国際条約国際紛争を、戦争ではなく、平和的手段によって解決することを約したもの。当初一五か国で調印され、のち、参加国は六一か国にふえた。ケロッグ‐ブリアン条約。ブリアン‐ケロッグ条約。

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改訂新版 世界大百科事典 「不戦条約」の意味・わかりやすい解説

不戦条約 (ふせんじょうやく)

正式名称は〈戦争放棄に関する条約Treaty for the Renunciation of War〉という。署名地の名をとってパリ規約,主唱者であるフランス外相とアメリカ国務長官の名に因んでブリアン=ケロッグ規約,ケロッグ=ブリアン条約とも呼ばれる。1928年8月27日に署名され,翌年7月24日発効した。この条約は,当事国が国際紛争解決のために戦争に訴えることを非とし,国家の政策の手段としての戦争を放棄することを宣言するとともに,国際紛争を平和的に解決すべきことを定める。国際連盟規約の下では,連盟理事会に付託された紛争について,全会一致(紛争当事国を除く)の報告が得られない場合には,公然と戦争の自由が認められるなど,戦争の禁止が不徹底であった。不戦条約による戦争の原則的禁止は,この穴を埋めるものである。しかし,不戦条約に対しては,多くの国が,自衛のための戦争や,自国が特別の利害関係をもつ地域での戦争を除外する留保を付し,また条約そのものも違反に対する制裁規定を欠くといった点で,その実効性に早くから疑問が投げかけられてきた。ただ,第2次大戦後,ニュルンベルクや東京で行われた戦争犯罪人に対する裁判で,不戦条約に違反した侵略戦争が平和に対する罪に当たるとされるなど,戦争違法化に果たした歴史的役割は大きい。不戦条約は期限の定めがなく,今日でも効力を有しており,約60の国が当事国となっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「不戦条約」の意味・わかりやすい解説

不戦条約
ふせんじょうやく
General Treaty for Renunciation of War as an Instrument of National Policy

正式には「戦争放棄に関する条約」という。 1928年8月 27日パリで採択,署名された。条約を提唱したフランス外相 A.ブリアンとアメリカ国務長官 F.ケロッグにちなんでケロッグ=ブリアン条約,あるいは締結地にちなんでパリ条約とも呼ばれる。 27年ブリアンがアメリカ,フランス2国間不戦条約の締結を提案したのに対し,ケロッグが多国間条約にしようと主張,結局後者に決り,28年パリにおいて 15ヵ国間に結ばれたが,その後 63ヵ国が加わり 29年7月発効した。この条約によって国際紛争を解決するため,あるいは国家の政策の手段として,戦争に訴えることは禁止されることになり,あらゆる国家間の紛争は,平和的手段のみで解決をはかることが規定された。しかし条約交渉を通じて「国際連盟の制裁として行われる戦争」および「自衛戦争」は対象から除外されることも了解された。戦争の違法化を推進した点で非常に重要である。他方で自衛権という例外を生み出すきっかけともなった。

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百科事典マイペディア 「不戦条約」の意味・わかりやすい解説

不戦条約【ふせんじょうやく】

正式名称は〈戦争放棄に関する条約〉。ケロッグ=ブリアン条約ともいう。1928年パリで調印された条約(初め15ヵ国,のち93ヵ国)。仏外相ブリアン提唱の仏米不戦条約案を受けた米国国務長官ケロッグが,これを一般条約として各国に呼びかけたのが契機。国際紛争の解決はすべて平和的手段によるものとし,一切の武力使用禁止を約した。しかし理念的・抽象的にすぎたため,1930年代以降の非常事態には対処し得なかった。不戦条約は期限の定めがなく,今日でも効力を有しており,約60の国が当事国となっている。
→関連項目戦争の放棄

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「不戦条約」の解説

不戦条約(ふせんじょうやく)
Treaty for the Renunciation of War

ケロッグ‐ブリアン条約ともいう。1927年,フランス外相ブリアンの提唱した仏米不戦条約締結を発展させて,アメリカのケロッグ国務長官が米仏両国間だけでなく,一般条約として世界14カ国に「戦争放棄に関する条約」を呼びかけたことにもとづく。28年8月パリで15カ国が調印,のち63カ国がこれに参加した。条約は3カ条からなり,「国際紛争解決のため,および国策遂行の手段としての戦争を放棄すること」を誓ったもので,戦争違法化の歴史で大きな足跡を残すこととなった。しかし,条文の規定は抽象的で意思表明に留まり,第二次世界大戦の発生を防ぐことはできなかった。第二次世界大戦後の国連憲章にもこの精神が生かされている。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「不戦条約」の解説

不戦条約
ふせんじょうやく

1928年(昭和3)8月,パリで締結された「戦争放棄に関する条約」。当初の調印国は日本を含む15カ国(のち63カ国)。パリ不戦条約,さらに多数国間条約への発展に功績のあった米・仏の代表者名をもってケロッグ・ブリアン条約ともいう。交渉過程では自衛のための戦争を含むか否かが論議の的となったが,各国とも自衛権を否認しないとの見解のもとに調印した。日本では第1条の「人民の名に於て」の字句が右翼から問題とされ,枢密院でも承認が危うく,野党民政党は田中義一内閣の倒閣に利用しようとしたが,この字句は日本に適用されない旨の留保宣言を付すことで決着した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「不戦条約」の解説

不戦条約
ふせんじょうやく
Treaty for the Renunciation of War

1928年8月27日,パリで日本・イギリス・アメリカ・フランス・イタリアなど15か国が集まって結んだ,正式名称「戦争放棄に関する条約」。ケロッグ−ブリアン協定・パリ協定ともいう
初めフランス外相ブリアンがフランス・アメリカ間に提唱し,ついでアメリカ国務長官ケロッグが戦争反対のための一般条約とすべきことを唱えて成立,のちソ連をはじめ63か国が加わった。国策の具としての戦争放棄を約した最初の条約として大きな意義があるが,自衛戦争を認め,制裁条項がないため,実質的効果はきわめて少なかった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「不戦条約」の解説

不戦条約
ふせんじょうやく

1928年8月27日,パリで締結された戦争放棄に関する条約
ケロッグ‐ブリアン協定,パリ不戦条約ともいう。アメリカ国務長官ケロッグ,フランス外相ブリアンが提唱。日本・イギリス・ドイツなど15カ国(のち63カ国)が調印した。日本では,条約第1条の「人民の名において」の句が国体と憲法に反するとして野党民政党の反対や枢密院で問題となり,田中義一内閣はこの一句は日本に適用されないとの留保条件をつけてようやく批准をとりつけた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「不戦条約」の意味・わかりやすい解説

不戦条約
ふせんじょうやく

ケロッグ‐ブリアン条約

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世界大百科事典(旧版)内の不戦条約の言及

【内田康哉】より

…18年原敬内閣の外相になり,シベリア出兵に反対し,ワシントン会議に対処した。25年枢密顧問官となり,28年のパリ不戦条約会議全権として渡仏,不戦条約に署名したが,同条約中の〈人民ノ名ニ於テ〉が国体観念に反するとして攻撃され枢密顧問官を辞任。31年満鉄総裁に就任,満州事変では関東軍の方針に同調,翌年斎藤実内閣に四たび外相として入閣,満州国承認問題に関連して〈焦土外交〉を提唱し,国際連盟脱退を主張するなど強硬路線を推進した。…

【戦争の放棄】より


[国際法上の歴史的背景]
 戦争放棄を定める9条1項は,〈国権の発動たる戦争〉とならんで〈武力による威嚇又は武力の行使〉を〈永久にこれを放棄する〉としているが,このような規定が成立するに至る背景には,国際法における戦争の違法化の歴史がある。国際法の上で,事実上あらゆる戦争が〈自助〉(自力救済)の名目のもとで合法視されてきた状態を改善して,戦争を違法とし,伝統的な国家の〈戦争の自由〉に制限を加えようとしたのは,第1次大戦後の国際連盟規約(1919年6月締結,20年1月発効)および〈戦争抛棄ニ関スル条約〉(不戦条約。1928年8月締結,29年7月発効)である。…

【パリ条約】より

…この結果,スペインはアメリカ大陸ですべての領土を失い,アメリカはカリブ海の支配を強め,極東進出の足場を築いた。(7)1928年8月27日に調印された戦争放棄に関する一般国際条約で,不戦条約,ケロッグ=ブリアン条約などとも呼ばれる。フランス外相ブリアンとアメリカ合衆国国務長官ケロッグは,国策の道具としての戦争を放棄する条約の締結を提唱した。…

※「不戦条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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