不改常典(読み)ふかいのじょうてん

改訂新版 世界大百科事典 「不改常典」の意味・わかりやすい解説

不改常典 (ふかいのじょうてん)

天智天皇の定めたという皇位継承にかかわる法のこと。〈改(かわ)るまじき常の典(のり)〉と読む。《続日本紀》にみえる707年(慶雲4)の元明天皇即位の宣命に,〈関(かけまく)も威(かしこ)き近江の大津宮に御宇(あめのしたしろしめ)しし大倭根子天皇の,天地と共に長く日月と共に遠く,改るまじき常の典〉とみえるのが初見で,以後修飾は簡略になるが,聖武・孝謙の両天皇の即位宣命にみられる。これは古くは大化改新の詔,または天智天皇の制定した近江令を指すと解せられていたが,1951年に岩橋小弥太が,大化改新詔や,近江令を発展させた大宝令には皇位継承に関する規定のないこと,近江令は制定後改変され〈不改〉といえないことなどから,旧説を否定し,それらとは別に定めた皇位直系相続の制であるとした。その後,岩橋説をめぐり多くの論が出た。岩橋説を発展させ,嫡系ないし父子相続を規定した法とする説が有力だが,近江令説を正しいとする説,天皇家と藤原氏との共同執政の実現を内容とする法,皇位継承者の決定を天皇大権とする法と見るなど,諸説が対立している。また天智の制定ではなく,元明が天智に仮託して案出したとする説もある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「不改常典」の意味・わかりやすい解説

不改常典
ふかいのじょうてん

天智天皇(てんじてんのう)が定めた、皇位継承に関すると推定される法。「不改常典(かわるまじきつねののり)」「不改常典(あらたむまじきつねののり)」とも読む。707年(慶雲4)の元明天皇(げんめいてんのう)即位宣命(せんみょう)に初見。持統天皇から文武天皇(もんむてんのう)への譲位は天智天皇の「天地と共に長く日月と共に遠く改るまじき常の典」に基づくとある。以後、元正天皇(げんしょうてんのう)から聖武天皇へ、聖武天皇から孝謙天皇への譲位の際の詔(みことのり)にもみえる。かつては近江令(おうみりょう)をさすと考えられたが、現在は母子(祖母・孫)共治の原則を示した法、あるいは父系の嫡系ないし直系継承を規定した法とみる説などが有力である。

門脇禎二]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「不改常典」の意味・わかりやすい解説

不改常典
ふかいのじょうてん

元明天皇即位に初見し,聖武天皇譲位に終る,宣命中に引かれた法制度。「天智天皇の創始にかかる不改常典」と称せられ,その内容は皇位継承法に関するものと推定されている。ただし,それが単なる直系相続を定めたものか,直系相続中の嫡系相続を定めたものかは定かでない。しかしこの制度は,現実には,皇位の兄弟相続を排して持統天皇の嫡子草壁皇子の系統が即位する場合に,その正統性を証すものとして使用された。壬申の乱を起した天武天皇系にとってはまさに逆の主張である。なおこの語は平安朝以降は姿を消し,代って「天智天皇が創始した法」という言葉が表われるが,その意味は本来の制度から離れ,君主政治の基本法を意義するようになった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「不改常典」の解説

不改常典
ふかいのじょうてん

「かわるまじきつねののり」とも。即位宣命(せんみょう)にみえる法。天智天皇が定めたという。707年(慶雲4)元明天皇即位の詔に初見。皇位継承を正当づける法として,天智天皇に仮託されたものと考えられるが,内容については皇位継承にかかわる法だとする説,それ以外の法(たとえば近江令など)だとする説など,研究史上定まらない。

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