与湾大親(読み)ゆわん・うふや

朝日日本歴史人物事典 「与湾大親」の解説

与湾大親

生年生没年不詳
第二尚氏尚清王代の奄美大島豪族大親は「ウフヤ」という。奄美諸島は第一尚氏代から琉球中山へ入貢し臣従関係にあったが,尚徳6(1466)年には尚徳王が鬼界島(喜界島)を征討するなど,その支配は不安定であった。与湾は中山への忠孝の心篤く,善政を布いていたが,同僚にうとまれ中山に讒言され,尚清王の征討を受けて縊死した。子の糠中城掟は捕虜となって中山に連行されたが,のちに出仕して出世した。その子は大浦添親方良憲(浦添良憲)で,尚元王代の尚元4(1559)年には三司官に昇任。近世琉球の名族となる馬氏の初代となっている。古琉球期の奄美と沖縄の関係をみるうえで重要な人物である。<参考文献>先田光演『与湾大親』(宇検村振興育英財団)

(田名真之)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「与湾大親」の解説

与湾大親 よわんうふや

?-1537 琉球の官吏
尚清(しょうせい)王の代の奄美大島の島役人の長(大親)。反逆をくわだてているという同僚の讒訴(ざんそ)により,尚清王11年国王の軍に攻められ,罪なくして討たれることをなげいて自害した。

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