世界政策(読み)セカイセイサク(英語表記)world policy 英語

デジタル大辞泉 「世界政策」の意味・読み・例文・類語

せかい‐せいさく【世界政策】

世界的規模で考えられた対外政策。特に、19世紀末以後に欧米列強がとった帝国主義的対外膨張政策をいう。

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精選版 日本国語大辞典 「世界政策」の意味・読み・例文・類語

せかい‐せいさく【世界政策】

〘名〙 世界各国の大勢を見通して立てる対外政策。とくに一九世紀以降、欧米の列強が世界的規模で行なった、帝国主義的な拡張政策をいう。
東京朝日新聞‐明治三八年(1905)三月二四日「日英同盟英国の世界政策の枢軸たる事」

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「世界政策」の意味・わかりやすい解説

世界政策
せかいせいさく
world policy 英語
Weltpolitik ドイツ語

一国家の権力的、経済的あるいは文化的政策を地球的規模にまで拡大しようとする対外政策。この傾向はヨーロッパ人の新大陸・新航路「発見」の時代以来みられるが、とくに19世紀後半からの帝国主義の時代以降に顕著に現れた。ヨーロッパの有力諸民族は求心的な国民国家の形成を達成すると、ヨーロッパ国家系(国際体制)の枠内にとどまらずに、産業革命の諸成果を強力な手段として、たとえばイギリス三C政策ドイツ三B政策、フランスのアフリカ進出など、海外への膨張を競争的に展開した。ここに帝国主義的世界強国の全地球的世界国家系が形成され、その錯綜(さくそう)した利害関係が第一次世界大戦の根本原因となった。戦後にはアメリカ合衆国や日本などヨーロッパ外の強国も台頭し、ついで第二次世界大戦と、それに続くアフリカ、アジアにおけるヨーロッパ植民地の独立によって、ヨーロッパ諸国の世界政策は後退した。

 第二次世界大戦後は、アメリカ合衆国ソビエト連邦の東西二大世界国家が世界政策を推進した。合衆国は北大西洋条約機構NATO(ナトー))、太平洋安全保障条約(ANZUS(アンザス)同盟、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド3国が結んだ防衛協定)、東南アジア条約機構(SEATO(シアトー))、中央条約機構(CENTO(セントー))などを組織し、これに対抗してソ連はワルシャワ条約を締結して東欧諸国の結束を強化、さらにモンゴル人民共和国や中国などをもこれに提携させ、集団的安全保障体制による世界政策的対立が全地球を覆った。さらに核兵器やミサイル開発などの軍備拡張競争がこれを激化させた。1980年代末から90年代初めにかけて、共産主義ないし社会主義体制のソ連の解体、東欧諸国の崩壊により、ワルシャワ条約機構も瓦解(がかい)してソ連の世界政策は挫折(ざせつ)し、合衆国が唯一の超大国として世界政策の覇権を握るに至っている。しかし、この間に西ヨーロッパ諸国を中心とするヨーロッパ連合(EU(イーユー))の結合が促進されて有力となり、ソ連解体後に成立したロシア連邦も東南ヨーロッパや中東に対する発言力をなお維持している。またアラブ・イスラム世界では合衆国に対する反感も残存し、アジアでは急速に台頭しつつある中国の合衆国に対する警戒心が強い。さらにアフリカ、アジアの開発途上国もかならずしも合衆国の意のままにならず、また多発する地域的紛争に対する介入もそのすべてが成功しているとはいえない。合衆国の世界覇権はなお多難な様相をみせている。

[岡部健彦]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「世界政策」の解説

世界政策(せかいせいさく)

世界的規模にわたる対外政策。第一次世界大戦前,帝国主義列強が世界の経済的・政治的・軍事的な支配を目的として行った積極的な対外政策をいう。特にドイツのそれをさすことが多く,ドイツ語のWeltpolitikが広く用いられる。この言葉はヴィルヘルム2世が1896年「ドイツ帝国は世界帝国となった」と演説したことに由来するといわれる。第二次世界大戦後,アメリカではその世界政策にglobal policyという語を用いている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「世界政策」の解説

世界政策
せかいせいさく
Weltpolitik

19世紀末以来,帝国主義列強がとった積極的対外政策
ふつうは,ビスマルク引退後のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の世界制覇政策をさす。

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世界大百科事典(旧版)内の世界政策の言及

【ウィルヘルム[2世]】より

…在位1888‐1918年。皇帝に即位するや宰相ビスマルクを辞任させ,積極的な海外進出(いわゆる〈世界政策〉)に乗り出す。ロシアとの再保障条約の不更新,穀物関税の引上げ,近東への進出(三B政策)などによってロシアやイギリスとの対立を招き,他方,海相ティルピッツのもと大艦隊の建造に着手し,英独建艦競争を引き起こし,イギリスとの対立を深めた。…

【ドイツ帝国】より

…在任1894‐1900)の時期には,皇帝が再び弾圧立法を提案したり,政府とその政策に足並みの乱れと動揺とが目だち,さらに議会主義やプロイセン邦議会の三級選挙法改正を求める世論の高まりが,支配層の危機感を深めた。皇帝と帝国宰相B.vonビューロー(在任1900‐09)はこの動揺を鎮め,支配層の結集をはかるため農業関税の再引上げや重工業の利益になる大艦隊の建造を進める一方,膨張主義的世界政策の展開によって国民の統合をはかった。しかし増大する軍事費の負担をめぐって支配層の内部にも対立が生まれ,帝国宰相ベートマン・ホルウェーク(在任1909‐17)はこの対立の打開に腐心したが解決策を見いだせず,左右から批判を浴びた。…

※「世界政策」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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