中井太一郎(読み)なかい・たいちろう

朝日日本歴史人物事典 「中井太一郎」の解説

中井太一郎

没年:大正2(1913)
生年天保1(1830)
明治期の農事改良家。伯耆国久米郡小鴨村(倉吉市)の地主の家に生まれる。9歳で寺子屋に学び,のち5町8反(約5.7ha)の手作地を経営。安政5(1858)年鳥取藩の地方改革で中庄屋となる。明治10(1877)年戸長となったが,このころから稲作技術の改良に心血を注ぎ,16年農業経営を子益蔵に譲り,もっぱら地方を巡回して稲作改良の指導に当たった。17年正条植えに必要な田植定規考案,さらに25年には回転式水田除草機(太一車)を案出,特許を取る。これは従来の中耕除草機と比べて性能がすぐれ,普及に努めたこともあり,農民に迎えられて全国に広まった。太一車の普及は中耕除草の労働を軽くし,作業能率を高めた。著書に『稲作改良実験記』(1883),『大日本稲作要法』(1888)などがある。<参考文献>清水浩「農機具発達の一段階」(『日本農業発達史』4巻),堀尾尚志「『大日本稲作要法』解題」(『明治農書全集』11巻)

(田口勝一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「中井太一郎」の意味・わかりやすい解説

中井太一郎 (なかいたいちろう)
生没年:1830-1913(天保1-大正2)

明治期の老農。特に水田中耕除草器〈太一車〉の考案者として有名。鳥取県出身。藩政時に改正方・中庄屋を,維新後は地券取調・戸長を務めたが,1870年代末ごろから稲作改良を志してそれに専念した。(1)苗代様式として短冊苗代原型提唱,(2)田植定規の案出と正条植えの普及に努め,(3)回転式中耕除草器を改良して後年の舟型除草機の原型を考案し,(4)粗朶(そだ)による暗渠排水法を主張するなど,全国にその足跡を残した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中井太一郎」の解説

中井太一郎 なかい-たいちろう

1830-1913 明治時代の農事改良家。
天保(てんぽう)元年生まれ。もと伯耆(ほうき)(鳥取県)中河原村の庄屋。稲作技術の改良に力をそそぎ,明治17年田植え定規(じょうぎ)を,25年水田中耕除草機(太一車)などを考案した。講演や実地指導で全国各地への普及につとめた。大正2年死去。84歳。著作に「稲米撰種法」「大日本簡易排水法」など。

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百科事典マイペディア 「中井太一郎」の意味・わかりやすい解説

中井太一郎【なかいたいちろう】

明治の老農。鳥取の人。農事改良に尽力し,短冊苗代,正条植に便利な田植定規,水田中耕除草器(太一車),簡易排水法などを案出,全国を巡回指導。著書《大日本稲作要法》ほか。

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世界大百科事典(旧版)内の中井太一郎の言及

【田打車】より

…田を打つとは本来,田の耕起を意味するのであるが,ここではつめで田をひっかくくらいの意味である。なお,これは明治中期に鳥取の中井太一郎により発明されその名をとって〈太一車〉と呼ばれ,これがなまって田打車になったとしている書物もあるが,同様なくふうは各地で明治初年からなされている。したがって中井により最終的な完成をみたとする方が正しい。…

※「中井太一郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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