中内㓛(読み)なかうちいさお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中内㓛」の意味・わかりやすい解説

中内㓛
なかうちいさお
(1922―2005)

経営者。1922年(大正11)大阪府西成郡の薬局長男として生まれる。神戸第三中学(現、長田高校)、神戸高等商業学校(後の神戸商科大学、現在の兵庫県立大学)を経て、日本綿花(後のニチメン)に入社。陸軍軍曹としてフィリピン終戦を迎える。1957年(昭和32)大栄薬品工業(現ダイエー)を創業し、同年、大阪市内にスーパー1号店「主婦の店ダイエー」を開店した。アメリカ流のスーパーマーケットの仕組みを日本に導入。徹底した安売りと多店舗展開で業容を拡大し、1972年には三越を抜いて小売業で売上高日本一になった。

 「流通革命旗手」とよばれるほど事業拡大路線をひた走り、全国の地場スーパーのほか、コンビニエンス・ストアローソン、プロ野球球団の福岡ダイエーホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)、求人情報のリクルート、海外のリゾート施設など異業種も次々と傘下に吸収。グループ企業190社、売上高5兆円を超える巨大流通グループを一代で築き上げた。

 この間、1967年(昭和42)には日本チェーンストア協会を設立して初代会長に就任。一貫して流通規制の緩和政府に求めたほか、「消費者本位」を掲げて、家電などのメーカーともしばしば対立した。1969年に出版した『わが安売り哲学』(日本経済新聞社)はベストセラーとなった。

 1990年(平成2)には経済団体連合会(現、日本経済団体連合会)副会長に就任、1993年には流通業界で初の勲一等瑞宝(ずいほう)章を受章した。しかし急速な多角化有利子負債が膨らみ、経営が悪化。2002年にはグループの全役職から退いた。

 1980年代には政府の臨時教育審議会の委員も務め、日本の画一的な教育を批判して「個性主義」の重要性を説き、後に自ら流通科学大学(神戸市)を創設した。1995年の阪神大震災時には、被災地にあるローソンの店を開くよう陣頭指揮。ヘリコプターで運んだ食料品や水などを店頭に並べ、コンビニエンス・ストアが災害時のライフラインとして定着するきっかけをつくった。平成17年9月死去。葬儀は流通科学大学の学園葬であった。

[矢野 武]

『中内㓛著『流通革命は終わらない――私の履歴書』(2000・日本経済新聞社)』『佐野真一著『カリスマ――中内㓛とダイエーの「戦後」』上下(新潮文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中内㓛」の意味・わかりやすい解説

中内㓛
なかうちいさお

[生]1922.8.2. 大阪,大阪
[没]2005.9.19. 兵庫,神戸
実業家,ダイエーの創業者。小さな薬屋を営む父のもとに生まれ,1941年神戸高等商業学校を卒業。第2次世界大戦中に召集され,戦後復員。1957年大栄薬品工業を設立し,大阪市内に主婦の店ダイエー薬局 1号店を開く。1970年社名をダイエーに変更。「価格破壊」を売り物に総合スーパーマーケット,ダイエーの体勢を整え,急成長した。1972年に創業 15年で百貨店の老舗,三越を抜き,日本最大の小売店となった。1975年コンビニエンス業界に進出し,1994年忠実屋など 3スーパーマーケットを買収。一方,1988年にプロ野球球団の南海ホークスを買収,福岡ダイエーホークスを創設した。1990年流通業界で初の経済団体連合会副会長に就任。事業を拡張してダイエーを巨大グループに育て上げたが,2002年業績悪化に伴いすべての役職から退いた。2003年流通科学大学を創設した。1984年レジオン・ドヌール勲章,1993年勲一等瑞宝章,2000年イサベル女王勲章を受章。

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