中印国境問題(読み)ちゅういんこっきょうもんだい

改訂新版 世界大百科事典 「中印国境問題」の意味・わかりやすい解説

中印国境問題 (ちゅういんこっきょうもんだい)

アジアの二大国,中国とインドとの間には,世界の屋根といわれるカラコルム山系および大ヒマラヤ山系が,東西約3200kmにわたって走っている。現在両国合意の下に画定された国境線はない。国境問題に関しての中国側の主張は,双方の行政管轄範囲に基づいて,古くから二つの山系の南麓に沿って,伝統的な慣習上の境界線が形づくられているが,この境界線を基礎にして平和五原則に従った,友好的な交渉によって解決すべし,という。この慣習上の境界線は,ネパールから西へは,中国の新疆ウイグル自治区とインドのジャンムー・カシミール州との接する西部区,それとチベット自治区とインドのパンジャーブおよびウッタル・プラデーシュの2州が接する中部区とから成る。またブータンから東へは,チベット自治区とインドのアッサム州が接する東部区の1区のみで,総じて国境全線は三つの区から成っている。これに対してインド側は,旧支配国イギリスから譲渡されたものとしてイギリスが力で設定した境界線が国境線であると主張している。すなわち東部区では慣習線よりはるか北方の1914年に設定の〈マクマホン・ライン〉を,中部区では慣習上の境界線にほぼ沿って走る境界線を,西部区では慣習線の中国側にあって中国が自国領としているアクサイチン地方と,新疆ウイグル自治区との境界線をそれぞれ国境線であるとし,中国の主張に反対している。

 こうして中印両国の国境問題をめぐる対立は,1950年来紛争化し,60年4月ニューデリーでのネルー=周恩来会談による友好的解決の努力にもかかわらず,62年には10~12月の国境全域にわたる軍事大衝突の発生,事実上の国交断絶までに事態は発展した。しかし70年の初め両国の和解が始まり,81年12月,続いて82年5月と2回にわたり中印会議が開かれ,86年ラジブ・ガンディー首相の北京訪問以後,国境問題の話合いが開始されている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「中印国境問題」の意味・わかりやすい解説

中印国境問題【ちゅういんこっきょうもんだい】

東部のアッサム地区,西部のラダック地区の国境線をめぐる主張の食い違いから中国とインドの間で起きた紛争。西部国境では,1956年に中国がラダック北方のアクサイ・チン地方を通って新彊とチベットを結ぶ道路を建設した。東部国境では,1914年のシムラ会議の決定に基づく国境線に中国が異議を唱えたが,インドは話し合いを拒んだ。1959年ダライ・ラマがインドに亡命したのを機に武力衝突が発生。1962年には東西国境で中国が攻撃を開始,圧倒的勝利を収めてアクサイ・チンを支配下においた。両国関係は長く緊張が続いたが,1980年代後半以降,改善に向かい,2003年の中印共同宣言では〈双方が受入れ可能な解決策〉の模索で一致した。
→関連項目アジアインドカシミールチベット問題メノン

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

知恵蔵 「中印国境問題」の解説

中印国境問題

3000km余り隣接するインドと中国の間で未解決になっている国境の画定問題。インドは旧宗主国の英国から譲渡された領土の境界線を原則とし、中国はヒマラヤ山系の南側に沿う慣習上の境界線を主張している。1962年10〜12月には軍事衝突が起き、国境紛争となった。中国はインドが領土と主張するカシミール東部も占拠し、事実上の国交断絶に発展した。その後、中国はパキスタンとの関係を強化、中印間は険悪な関係が続いた。しかし、88年のラジブ・ガンジー首相の訪中以来、徐々に改善。99年にインドとパキスタンがカシミール地方で衝突したカルギル紛争では、中国は不介入の姿勢をとった。2003年6月の中印首脳会談では、インドがチベット自治区を中国領と認め、中国がシッキム州経由の貿易再開に合意した。04年以降の印パ関係の改善も、中印関係に好影響を与え、05年4月に訪印した温家宝首相は、「中印国境問題解決のための政治枠組みと指針」に調印。中国は初めて「シッキム州はインドの州」と認めた。06年7月には、シッキム州とチベット自治区の間が44年ぶりに開放された。開放されたナトゥラ峠は標高4545mの高地で、古来、シルクロード南ルートの交易拠点だった。関係改善の背景には、両国間の貿易が年200億ドルに迫る経済交流の活発化もある。ナトゥラ経由の貿易拡大にも期待がかかるが、なお国境が画定しない地点も多い。

(竹内幸史 朝日新聞記者 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

世界大百科事典(旧版)内の中印国境問題の言及

【チベット問題】より

…チベット問題とは,国際的には主として中印国境問題であり,国内的には漢族とチベット族の関係すなわち少数民族問題およびチベット自治区の民主改革問題のことである。チベットは清朝統治下にあっても,ダライ・ラマを頂点とする独特の宗教支配をたもってきた。…

※「中印国境問題」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android