中原季時(読み)なかはらのすえとき

朝日日本歴史人物事典 「中原季時」の解説

中原季時

没年嘉禎2.4.6(1236.5.12)
生年:生年不詳
鎌倉前期の御家人,京都守護。右京進,駿河守,従五位下。中原親能の子。源頼朝側近として重用され,元久2(1205)年10月10日に京都守護として上洛,大江親広と共に公武交渉・大番役統轄などに当たるが,将軍源実朝が承久1(1219)年に暗殺された直後に出家し,その任を退く。出家後は駿河入道行阿と称し,承久の乱では宿老として鎌倉にあった。父親能より筑前国宗像郡東郷曲村(宗像市)地頭職,筑後国上妻荘(福岡県)内蒲原次郎丸惣地頭職,肥前国(佐賀県)長嶋荘惣地頭職を伝領していることが知られる。<参考文献>瀬野精一郎『鎮西御家人の研究

(美川圭)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中原季時」の解説

中原季時 なかはらの-すえとき

?-1236 鎌倉時代武将
中原親能(ちかよし)の子。源頼朝の側近として幕政にくわわり,元久2年京都守護となる。3代将軍源実朝(さねとも)の死を機に出家し,駿河入道行阿(ぎょうあ)と称した。承久(じょうきゅう)の乱では鎌倉の留守役をつとめた。嘉禎(かてい)2年4月6日死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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