中原師緒(読み)なかはらのもろお

朝日日本歴史人物事典 「中原師緒」の解説

中原師緒

生年生没年不詳
鎌倉末期の 明法官人。師冬の子。造酒正から木工助,助教を経て文保2(1318)年大外記に任ぜられ,以後周防権守,越後権守,掃部頭を順次兼ねた。元応2(1320)年,翌年辛酉革命の年に当たるため改元しようとした後醍醐天皇に対し,辛酉革命説の根拠となる讖緯説迷妄の説であるとして旧例を改めるよう進言したが,聞き入れられなかったという。正中1(1324)年,嫡子師治に掃部頭を譲り,大外記を辞して6月に出家,法名を性照と称した。『外記補任』建武1(1334)年条に,師治が重服によって職を去る,との記載があり,これが父師緒の死去をさすものであれば,没年は建武1年となる。

(新田一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中原師緒」の解説

中原師緒 なかはらの-もろお

?-? 鎌倉時代の官吏
明法(みょうぼう)博士。文保(ぶんぽ)2年(1318)大外記(だいげき)に任じられ,のち周防権守(すおうごんのかみ),越後(えちごの)権守,掃部頭(かもんのかみ)をかねた。元応2年後醍醐(ごだいご)天皇が翌年が辛酉(しんゆう)革命の年にあたるので改元をかんがえた際,讖緯(しんい)説を迷妄の説と主張し,反対した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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