中国民権保障同盟(読み)ちゅうごくみんけんほしょうどうめい(英語表記)Zhōng guó mín quán bǎo zhèng tóng méng

改訂新版 世界大百科事典 「中国民権保障同盟」の意味・わかりやすい解説

中国民権保障同盟 (ちゅうごくみんけんほしょうどうめい)
Zhōng guó mín quán bǎo zhèng tóng méng

中国,第2次国内革命戦争時期に組織された,民主団体。趣旨は国民党反動派の白色テロに反対し,人民言論,出版,結社の自由を守り,すべての愛国的,革命的政治犯を救済するにあった。1932年12月,宋慶齢主席蔡元培を副主席,楊杏仏を幹事長として発足し,ただちに陳独秀,許徳珩,廖承志,丁玲らの救済を試みている。上海,北京などに分会有し魯迅も上海分会の執行委員として名を連ねていた。翌年6月,幹事長楊杏仏が国民党特務に暗殺され,活動は中途挫折した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中国民権保障同盟」の意味・わかりやすい解説

中国民権保障同盟
ちゅうごくみんけんほしょうどうめい
Zhong-guo min-quan bao-zhang tong-meng

1932年 12月に中国の自由主義者たちが組織した人権擁護のための団体。蔡元培 (総裁) ,楊杏仏 (総幹事) ,宋慶齢 (議長) ,魯迅,林語堂,胡適 (まもなく脱退) らが主要なメンバーであり,A.スメドレー,H.アイザックスも加わっていた。当時,国民政府は危害民国緊急治罪法を公布し,藍衣社を利用して,その独裁政治に対する批判者や抗日論者を不法に逮捕,拷問,処刑していた。同盟は治罪法の撤廃,政治犯に対する公開裁判,監獄の改善などを要求し,弁護その他の救援活動を行い,言論,出版,結社の自由のためにたたかったが,33年6月,楊杏仏が藍衣社に暗殺されたのち,同盟はほとんど活動を停止した。

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世界大百科事典(旧版)内の中国民権保障同盟の言及

【鄒韜奮】より

…大学卒業後,記者生活に入ったが,1931年に日本の東北侵略が始まると雑誌《生活》によって抗日の世論喚起をはかった。32年に魯迅らと中国民権保障同盟を組織し,国民政府の圧迫に抗して37年8月には雑誌《抗戦》を創刊,終生愛国活動を展開した。いわゆる〈抗日七君子〉の一人。…

※「中国民権保障同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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