中山元成(読み)なかやま・もとなり

朝日日本歴史人物事典 「中山元成」の解説

中山元成

没年:明治25.6.3(1892)
生年:文政1.10.1(1818.10.30)
幕末明治前期の茶業家。通称伝右衛門,茶顛などと号した。下総国猿島郡辺田村(茨城県岩井市)の豪農。猿島地方では,江戸前期より茶が栽培されていたが,19世紀に入ると茶の価格が低下し,茶畑も荒廃した。元成は猿島茶の復興を決意,先進地宇治の技術を導入し,茶樹の改良に努め,焙炉を造り,製茶法を広めた。嘉永5(1852)年関宿藩が江戸藩邸内に猿島茶売捌会所を設立すると,その任に当たり,猿島茶の販路を関東一円に広げ,安政6(1859)年の開港を期に,茶の輸出に努力した。維新後は粗製乱造の弊害を克服するために,茶業組合やその全国組織の中央茶業本部の結成に努力した。著書に『茶園栽培大意』『製茶略説』などがある。<参考文献>椎名仁他『猿島茶に生きる』

(長谷川伸三)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中山元成」の意味・わかりやすい解説

中山元成
なかやまもとなり
(1818―1892)

茨城県猿島(さしま)製茶業の功労者。通称伝右衛門(でんえもん)、号蘭化(らんか)、茶顛(ちゃてん)。下総(しもうさ)国猿島郡辺田(へた)村(茨城県坂東(ばんどう)市)の豪農の家に生まれる。猿島茶の改良とその普及に努力。1852年(嘉永5)関宿(せきやど)藩が江戸に猿島茶売捌所(うりさばきしょ)を設けるとその責任者となり、横浜開港後は猿島茶の輸出拡大に成功。1869年(明治2)東京府物産局臨時御用係、のち印旛(いんば)県・茨城県の勧業課雇として茶業振興に努力、『茶樹栽培略説』『茶園栽培大意』『製茶大意』の著がある。

[秋山高志]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中山元成」の解説

中山元成 なかやま-もとなり

1818-1892 江戸後期-明治時代の茶業者。
文政元年生まれ。郷里の下総(しもうさ)猿島(さしま)郡辺田村(茨城県岩井市)の茶業復興のため,宇治から教師をまねいて製茶法の改良と普及につくす。安政6年日本ではじめて茶を輸出。明治17年中央茶業組合を設立,幹事となった。明治25年6月死去。75歳。通称は伝右衛門。号は蘭華,朝陽斎,茶顛(ちやてん)。著作に「茶園栽培大意」など。

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